夏目漱石と谷崎潤一郎

閲覧数3,597
ダウンロード数15
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     夏目漱石は1868年2月9日に現在の新宿区に、父夏目子兵衛直克、母千枝の5男として生まれる。この後、一歳になった漱石は四谷の名主塩原家へ養子として出される。
     学生時代は東京大学予備門予科に進学し、同級生の正岡子規と親交を深めるなどした。明治23年、帝国大学文科大学英文科に学び、東京高等師範学校英語教師、松山の愛媛県尋常中学教諭となった。松山はのちに『坊っちやん』の舞台となる。
     明治33年、漱石は文部省派遣留学生に選ばれロンドンに赴く。「夏目狂せり」との噂が流れるなか帰朝し、一高と東大で英語英文学を講じたが留学中からの神経症に悩まされ、友人高浜虚子の勧めでいわば神経症の自己治療のために書いたのが『吾輩は猫である』である。雑誌「ホトトギス」に掲載された本著作で大いに文名があがり、明治40年には一切の教職を辞して東京朝日新聞社の小説記者となり執筆を始めた。
     没したのは大正5年12月9日、享年50である。彼の死を悼む人々の数は同日に弔われた日露戦争の名将大山巌を悼む人々の数をはるかに凌いだといわれている。
     このように漱石の生涯を振り返ってみると、明治時代をちょうどその一生の中に含んでいる。同時代の文学者には尾崎紅葉や幸田露伴がいるが、これらの人物が文学史上の存在である反面、漱石は単に文学史上の人物でなく、21世紀を迎えた現在でもなおその作品は生き続け、読者を得ている数少ない国民的作家の一人である。
     『坊っちゃん』は明治39年に書かれた初期の作品である。勧善懲悪という主題をリズミカルでやや排他的な江戸っ子弁で語られる物語である。近代作家や近代小説理論が否定する江戸的な感受性や倫理観に堂々と反発し、勧善懲悪という伝統を近代小説に復活させた作品、といわれている。この作品の魅力は主人公・坊っちゃんの単純明快さであり、正直さであり、人としての暖かさであろう。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    夏目漱石は1868年2月9日に現在の新宿区に、父夏目子兵衛直克、母千枝の5男として生まれる。この後、一歳になった漱石は四谷の名主塩原家へ養子として出される。
    学生時代は東京大学予備門予科に進学し、同級生の正岡子規と親交を深めるなどした。明治23年、帝国大学文科大学英文科に学び、東京高等師範学校英語教師、松山の愛媛県尋常中学教諭となった。松山はのちに『坊っちやん』の舞台となる。
    明治33年、漱石は文部省派遣留学生に選ばれロンドンに赴く。「夏目狂せり」との噂が流れるなか帰朝し、一高と東大で英語英文学を講じたが留学中からの神経症に悩まされ、友人高浜虚子の勧めでいわば神経症の自己治療のために書いたのが『吾輩は猫である』である。雑誌「ホトトギス」に掲載された本著作で大いに文名があがり、明治40年には一切の教職を辞して東京朝日新聞社の小説記者となり執筆を始めた。
    没したのは大正5年12月9日、享年50である。彼の死を悼む人々の数は同日に弔われた日露戦争の名将大山巌を悼む人々の数をはるかに凌いだといわれている。
    このように漱石の生涯を振り返ってみると、明治時代をちょうどその一生の中に含んでいる。同時...

    コメント1件

    fukuyama8 購入
    bunnsyouryokugaaru
    2007/01/31 12:26 (17年11ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。