ヘレンケラーから学ぶ重複障害

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    資料紹介

     ヘレンケラーは1880年6月27日誕生した。生後6カ月目には早くも片言ながら『こんにちは』を言い、1歳の誕生日にはヨチヨチ歩き出すほどの成長ぶりだった。しかし1歳9カ月目に、原因不明の高熱と腹痛におそわれ、一時は医師も見放すほどの重体に陥ったが、医師の努力で辛うじて一命だけはとりとめたものの、耳と目をおかされ、光と音の世界から完全に隔離されてしまった。幼いヘレンのわずかに記憶に残る言葉といえば、水を意味する「ウォー・ウォー」たった一言だった。それでも母子の間では何とか手ぶり身ぶりで意味は通じたので、両親は希望を捨てなかった。文献を調べて各方面の名医の診察を受けているうち、視力の回復は不可能だが、視聴覚障害者にも立派に教育していくことは可能であるという確信を得た。ある日ケラー大尉はヘレンを連れて、電話の発明者で障害者教育につくしていたアレキサンダー・グラハム・ベル氏を訪れ、その紹介でパーキンス盲学校の校長アナグノス氏に手紙を出して、ヘレンのために家庭教師のあっせんを依頼した。そこで推薦されて来たのが、同校を優秀な成績で卒業したばかりのアンニー・サリヴァン嬢であった。サリヴァンは着いた翌日から早速教育にとりかかった。まず初めに、パーキンス盲学校から贈られた人形をヘレンに抱かせ、指文字で「DOLL(人形)」という字をその掌に書いた。もちろんヘレンは何のことか判らなかった。繰り返しているうちに、それが自分の抱いているものの名前であることを覚り、この調子で努力しているうち、2週間目にはすべてのものに名のあることを理解するようになった。もともと頭のいいヘレンの進歩は日に日に早くなった。サリヴァンはそれまでの経験によって、点字によるよりも指文字の方が、興味と快感を伴いながら進歩も早いことを知っていたので、最初から指文字による教育をはじめたのである。

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    ヘレンケラーから学ぶ重複障害
    ヘレンケラーは1880年6月27日誕生した。生後6カ月目には早くも片言ながら『こんにちは』を言い、1歳の誕生日にはヨチヨチ歩き出すほどの成長ぶりだった。しかし1歳9カ月目に、原因不明の高熱と腹痛におそわれ、一時は医師も見放すほどの重体に陥ったが、医師の努力で辛うじて一命だけはとりとめたものの、耳と目をおかされ、光と音の世界から完全に隔離されてしまった。幼いヘレンのわずかに記憶に残る言葉といえば、水を意味する「ウォー・ウォー」たった一言だった。それでも母子の間では何とか手ぶり身ぶりで意味は通じたので、両親は希望を捨てなかった。文献を調べて各方面の名医の診察を受けているうち、視力の回復は不可能だが、視聴覚障害者にも立派に教育していくことは可能であるという確信を得た。ある日ケラー大尉はヘレンを連れて、電話の発明者で障害者教育につくしていたアレキサンダー・グラハム・ベル氏を訪れ、その紹介でパーキンス盲学校の校長アナグノス氏に手紙を出して、ヘレンのために家庭教師のあっせんを依頼した。そこで推薦されて来たのが、同校を優秀な成績で卒業したばかりのアンニー・サリヴァン嬢で...

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