日本政府のミャンマー連邦国に対する開発援助を事例として取り上げたいと思う。
まず、「経済発展と政治体制の関連性」と「開発援助と政治問題とのリンク」についてまとめて考察することにするが、ミャンマーは1962年以降軍事政権による支配が続いており、経済分野では社会主義政策をとっていたが、『88年9月に国軍が全権を掌握後、現政権は社会主義政策を放棄する旨発表すると共に、外資法の制定など経済開放政策を推進。92年から95年まで経済は高い成長率で伸びていたが、最近は非現実的な為替レートや硬直的な経済構造等が発展の障害となり、外貨不足が顕著となってきている。(外務省HPより)』このようなミャンマーの事態の原因のひとつとされるのはEUやアメリカからの経済制裁というものである。
これは政治分野での問題、例えば1990年に実施された複数政党制の総選挙でNDL(国民民主連盟)が圧勝したにもかかわらず、新憲法制定優先を理由に軍事政権が国会召集と政権移譲を拒否していたことや、国軍によるNDLアウン・サン・スー・チー女史の軟禁などミャンマーの政治体制への批判がその大きな要因となっている。こうして、一人当たりGDPが180米ドル(2003年度 IMF World Economic Outlook 2003より)という最貧国ともいえるミャンマーへのEU・アメリカからの経済制裁は続けられている。
以上の事例からもわかるように、自国のみでは経済発展の望めないミャンマーのような国では海外からの開発援助は不可欠のものであり、その海外からの援助は政治体制によって左右されることがわかる。また欧米諸国は開発援助と政治問題を強くリンクさせているという事実もみて取れる。
ではこのような開発問題と政治問題のリンクが不適切かどうかという議論であるが、これは「日本の経済援助外交における政経分離主義」との関連で述べたいと思う。
国際システム論
日本政府のミャンマー連邦国に対する開発援助を事例として取り上げたいと思う。
まず、「経済発展と政治体制の関連性」と「開発援助と政治問題とのリンク」についてまとめて考察することにするが、ミャンマーは1962年以降軍事政権による支配が続いており、経済分野では社会主義政策をとっていたが、『88年9月に国軍が全権を掌握後、現政権は社会主義政策を放棄する旨発表すると共に、外資法の制定など経済開放政策を推進。92年から95年まで経済は高い成長率で伸びていたが、最近は非現実的な為替レートや硬直的な経済構造等が発展の障害となり、外貨不足が顕著となってきている。(外務省HPより)』このようなミャンマーの事態の原因のひとつとされるのはEUやアメリカからの経済制裁というものである。
これは政治分野での問題、例えば1990年に実施された複数政党制の総選挙でNDL(国民民主連盟)が圧勝したにもかかわらず、新憲法制定優先を理由に軍事政権が国会召集と政権移譲を拒否していたことや、国軍によるNDLアウン・サン・スー・チー女史の軟禁などミャンマーの政治体制への批判がその大きな要因となっている。こうして、...