ラフカディオ・ハーンと夏目漱石を知る

閲覧数2,464
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    ラフカディオ・ハーンは、1850年ギリシャのレフカダ島で生まれた。19才のときに渡米し、新聞記者などをし、40歳のときに日本に来て島根の松江中学校の英語教師となった。そして、明治24年11月19日にハーンは第五高校中学校の英語の教師として赴任してきた。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    ラフカディオ・ハーンと夏目漱石を知る
    私がこの基礎セミナーを受けた中で一番印象に残ったことは旧制第五高等学校についてである。その中でも夏目漱石とラフカディオ・ハーン(小泉八雲)について興味を持ったので、このレポートではこの2人を中心に述べる。
    旧制第五高等学校は明治20年に開校された、九州で最初にできた高等学校である。旧制高等学校とは、明治27年、当時の高等中学校を改組したもので、程度の高い高等普通教育を行う男子の学校のことで、修業期間は3年。第一高等学校(通称 一高、東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)、六高(岡山)、七高(鹿児島)、八高(名古屋)の官立(国立)のほかに、それぞれの土地の名を冠した官立や私立の高校もあった。
    ラフカディオ・ハーンは、1850年ギリシャのレフカダ島で生まれた。19才のときに渡米し、新聞記者などをし、40歳のときに日本に来て島根の松江中学校の英語教師となった。そして、明治24年11月19日にハーンは第五高校中学校の英語の教師として赴任してきた。ハーン41歳のときである。その当時の五校の校長は講道館柔道の創始者である嘉納治五郎であっ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。