ここでは、戦後の日米関係を分析することで日本外交のアイデンティティを探っていく。
まず日米関係の全体像として3区分あげる。第一期はペリーの来航から日路線までであり、この時期は「日米友好の時代」である。ここから日米関係は始まる。第二期は日露戦争の終局から太平洋戦争の終結までにあり、この時期の日米関係は「対立と抗争の時代」である。アメリカとは、政治思想的にも政策においても対立することになり、結局、日米両国は太平洋戦争へと破局を迎えることになった。第三期は、太平洋戦争終結から今日までであり、この時期は、経済と貿易をめぐる紛争と対立を除くと、概して友好的な同盟関係にある。
次に戦後の四区分である。?占領期?日本の復興と自立期?日米関係の再調整と新展開期?日米のイクォール・パートナー(対等関係)期である。日米安保改定による新しい条約により、今日まで日米両国関係の安定的基礎を構築することは出来たが、日本の防衛がアメリカという虎の威を借る狐状態であることには変わりがない。1960年代後半になると米国内から「安保ただ乗り論」が出てきた。これは経済的発展にのみ力を注ぐ日本政府(日本人)に対しての苛立ちの表れといえる。
日本外交は1950年代の後半から対米追従を脱却し、独自のアイデンティティを求めるようになった。それの現れとして沖縄返還がある。これは日本外交に大きな勝利をもたらした歴史的事例であった。なぜならば、戦争で失った領土を平和的な外交交渉によって返還させたからである。
国際政治学
第6章 戦後日米関係における日本外交のアイデンティティ
ここでは、戦後の日米関係を分析することで日本外交のアイデンティティを探っていく。
まず日米関係の全体像として3区分あげる。第一期はペリーの来航から日路線までであり、この時期は「日米友好の時代」である。ここから日米関係は始まる。第二期は日露戦争の終局から太平洋戦争の終結までにあり、この時期の日米関係は「対立と抗争の時代」である。アメリカとは、政治思想的にも政策においても対立することになり、結局、日米両国は太平洋戦争へと破局を迎えることになった。第三期は、太平洋戦争終結から今日までであり、この時期は、経済と貿易をめぐる紛争と対立...