「子どもが成長するなかで、社会に出て自分というものを表現できるようになるには、どういう経験が必要なのであろうか。そして、そのために父親は何をなさなくてはならないのか─」
子どもはいつか巣立たねば一人前とは見なされない。それを促すのは父親の役目にほかならない。それが父親の任務である。その考察を生まれて間もない赤ちゃんからスタートする。
1、記憶の起源
人の初めての記憶の多くが、嫌悪的な体験内容である。その嫌悪的な体験を情報として蓄積していく。それが記憶として心の奥底に沈殿する。そして以後、親や周囲の大人は、その記憶にふれる形で子どもを「しつけ」ていく。
嫌なことを初期の記憶としてとどめるのはなぜだろうか。人類が生存していく上で嫌悪的な経験に関しては情報を心に残すことが、生物としてどうしても必要であった。生存に関わるような危険は避けなければいけない。
例えば、「ヘビ」を挙げてみる。ヘビが危険な動物であることを経験を通して学ばねばならないとしたら、それを忘れずにいることは大きな意義をもつ。初めてのヘビとの遭遇。何も知らずヘビに近づいたりすると噛み付こうとする。すると、「ヘビは怖い」という記憶を獲得することができるのである。その嫌悪的な記憶はもうくつがえることはない。
楽しいことはいくら経験してもすぐ忘れ、数少ない嫌なことだけが記憶に残る。
それは、幼少期を安全に乗り切るために、生物として保有する遺伝的資質の反映である。
2、死を看取ることの意義
人の記憶には手続き記憶と陳述記憶に二分できることを主張したのが「笑い」を著作したベルクソンである。時として喪失してしまう記憶を陳述記憶といい、なくならないものが手続き記憶である。さらに、陳述記憶はさらに二分できる。個々人が体験出来事を思い出すこと「エピソード記憶」と一般的な知識を覚えること「意味記憶」である。
記憶と父親の関係
「子どもが成長するなかで、社会に出て自分というものを表現できるように
なるには、どういう経験が必要なのであろうか。そして、そのために父親は
何をなさなくてはならないのか─」
子どもはいつか巣立たねば一人前とは見なされない。それを促すのは父親の
役目にほかならない。それが父親の任務である。その考察を生まれて間もない
赤ちゃんからスタートする。
1、記憶の起源
人の初めての記憶の多くが、嫌悪的な体験内容である。その嫌悪的な体験を
情報として蓄積していく。それが記憶として心の奥底に沈殿する。そして以後、
親や周囲の大人は、その記憶にふれる形で子どもを「しつけ」ていく。
嫌なことを初期の記憶としてとどめるのはなぜだろうか。人類が生存していく
上で嫌悪的な経験に関しては情報を心に残すことが、生物としてどうしても必要であった。生存に関わるような危険は避けなければいけない。
例えば、「ヘビ」を挙げてみる。ヘビが危険な動物であることを経験を通して
学ばねば...