私が考える「『はかる』ことができないもの」とは「愛」である。
そこで、まずカントが時間や空間について語る「究明」という方法を参考に考える。究明とは、私たちが時間や空間とは何かを知ろうとする際に、日常言語において「時間」や「空間」という言葉によって語られていることを反省的に列挙し、それを精緻に語りなおすという方法である。
カントにならって、日常生活を反省して、ある状態が愛であるために不可欠の条件を挙げてみる。
?相手の個体に向かっていること。言いかえれば、ほかの人とは交換不可能であること。
?相手の肉体のみならず、ひろく「心」と呼ばれているものに惹かれていること。言いかえれば、「心ある肉体」としての相手に惹かれていること。
?相手の姿を見たい、その声を聞きたい、その肌に触れたい等々、その人を「感じたい」と欲望すること。
?相手の諸属性を、その固有のあり方において「よいもの」とみなしていること。
愛の第一の条件は、かけがえのない個人に向かっていることである。マックス・シェーラによれば、私たちは相手の人格を愛するのであって、相手の属性を愛するのではない。
身体は単なる物体ではない。ここで、第二の条件が必要になる。ジャン=ポール・サルトルによれば、愛する対象は、自由の主体であり、そのことをもって自身の自由が支配できないものである。
「私は愛するものの身体をさまざまに知覚できる。しかし、近くの対象であるかぎりの身体を愛することはできない。私は知覚できる身体をまとった、しかも知覚の彼方にある自由な存在者のみを愛することができるのだ。私に見えるものは相手の個々の表象だけである。しかし、表象の全体から常に流れゆくもの、自分が自由にできないという意味で自由の主体であるもの、そういう存在者のみを愛することができるのである。」
前期レポート課題
私が考える「『はかる』ことができないもの」とは「愛」である。
そこで、まずカントが時間や空間について語る「究明」という方法を参考に考える。究明とは、私たちが時間や空間とは何かを知ろうとする際に、日常言語において「時間」や「空間」という言葉によって語られていることを反省的に列挙し、それを精緻に語りなおすという方法である。
カントにならって、日常生活を反省して、ある状態が愛であるために不可欠の条件を挙げてみる。
①相手の個体に向かっていること。言いかえれば、ほかの人とは交換不可能であること。
②相手の肉体のみならず、ひろく「心」と呼ばれているものに惹かれていること。言いかえれば、「心ある肉体」としての相手に惹かれていること。
③相手の姿を見たい、その声を聞きたい、その肌に触れたい等々、その人を「感じたい」と欲望すること。
④相手の諸属性を、その固有のあり方において「よいもの」とみなしていること。
愛の第一の条件は、かけがえのない個人に向かっていることである。マックス・シェーラによれば、私たちは相手の人格を愛するのであって、相手の属性を愛するのではない。
身体は単なる物体で...