まず、発展途上国への工業化の伝播を考える前に、18世紀のイギリス産業革命以降、イギリスで始まった工業化のがどのような形態でドイツ・フランスなどのヨーロッパ諸国を初めアメリカ・日本などに伝播していったのかを考えてみる。この工業化の波及に関するメカニズムを論じたのがガーシェンクロンであり、ここでガーシェンクロンの後進国の工業化モデルを取り上げる。産業革命によってイギリスは工業化を成し遂げた先進国であり、この先進国が既に存在するために後進国は先進国イギリスの最新の技術を導入することが可能になるため、後進国の工業化は当初から大規模であり且つ工業化のスピードもイギリスの工業化のスピードよりも早いものとなり、そして重工業への移行も早い段階で行われるようになる。しかし、この工業化のスピードが早いというメリットがある一方で後進国は工業化がすすんでも既に先進国によって形成された国際的分業に対応しながら工業化を進めていかねばならないというデメリットもある。また、イギリスでは工業化が進むにつれて整備されるようになっていった銀行や政府といった制度的手段が後進国では前述のような急速なる工業化による国内経済とのギャップを埋めるためにも工業化が進む前に出現し、この制度的手段の下で工業化が進められていくのである。そして、工業化を急速に進めていくためにも強力な指導が必要となるために国家的なまとまりが求められ、後進国では強いナショナリズム理念を持つようになる。これらの特徴が先進国に続く後進国の工業化の特徴としてガーシェンクロンは挙げているのである。
18世紀末にイギリスで始まった産業革命は19世紀から20世紀にかけて西ヨーロッパ諸国・アメリカ・ロシア・日本に伝播した。この国々は近代科学技術を用いた工業化を達成し、先進国とよばれている。これに対して、この先進国には属さない国家つまり発展途上国諸国は輸入を通してこれら先進国の工業製品を獲得することを余儀なくされていた。このような先進国が多くある“北”と発展途上国が多くある“南” この2地域間での貿易が“南北貿易”である。
先進国だけのものであった工業化だが、第一次大戦後あたりから発展途上国でも工業化が始まり第二次大戦後には南米やアジアでも工業化は波及していった。この発展途上国への工業化の波及は南北貿易の形態も変容させていった。ここではこの発展途上国への工業化の波及の形と南北貿易の変容に関して考えていくことにする。
まず、発展途上国への工業化の伝播を考える前に、18世紀のイギリス産業革命以降、イギリスで始まった工業化のがどのような形態でドイツ・フランスなどのヨーロッパ諸国を初めアメリカ・日本などに伝播していったのかを考えてみる。この工業化の波及に関するメカニズムを論じたのがガーシェンクロ...