中世においても、ロンドンは同じイングランドの大都市ブリストルやヨークに比べても3倍の人口を擁しており、その点からもイングランド諸都市中でも抜きん出た存在であった。また、ロンドンはイングランド国内だけでなく、ヨーロッパにおいても重要な都市であった。その基盤となったのが、一つは国内交通路にまたがる商業の中心地としての役割であり、そして、ドイツ低地諸邦フランスそしてイタリアと密接な絆を持ち、最も大きな河川であるテムズ川に位置する海港としての戦略的位置にあったこと。そして、専門化された品々を製造する工業的機能があったことであるといえる。その他にも、政府の主要な場及びウェストミンスターの法廷に近接しているということが基盤であった。これによってロンドンは政治的にも卓越した地位になったのである。このようなロンドンのもつ多様性こそが、この後の首都ロンドンの急成長を可能とする土台となったのである。
イングランド首都のロンドンの成長は、近世イングランド都市社会における最もめざましい発展であった。1700年にはロンドンは古くからの市壁に囲まれた部分以外にもウェストミンスター、サザーク、イースト・ロンドンの衛星コミュニティを加えて、人口55万人を超える西ヨーロッパ最大の都市になったのである。そして、時が経てば経つほど首都ロンドンと他のイングランド都市との差はより拡大していき、より特別な存在となっていった。近世ロンドンの最も明確な成長は、人口の増加にある。16世紀初頭の4万人から1700年には30万人にまで増加している。
欧米経済史
近世ロンドンの発展とその地域経済構造について
中世においても、ロンドンは同じイングランドの大都市ブリストルやヨークに比べても3倍の人口を擁しており、その点からもイングランド諸都市中でも抜きん出た存在であった。また、ロンドンはイングランド国内だけでなく、ヨーロッパにおいても重要な都市であった。その基盤となったのが、一つは国内交通路にまたがる商業の中心地としての役割であり、そして、ドイツ低地諸邦フランスそしてイタリアと密接な絆を持ち、最も大きな河川であるテムズ川に位置する海港としての戦略的位置にあったこと。そして、専門化された品々を製造する工業的機能があったことであるといえる。その他にも、政府の主要な場及びウェストミンスターの法廷に近接しているということが基盤であった。これによってロンドンは政治的にも卓越した地位になったのである。このようなロンドンのもつ多様性こそが、この後の首都ロンドンの急成長を可能とする土台となったのである。
イングランド首都のロンドンの成長は、近世イングランド都市社会における最もめざましい発展であった。1700年にはロンドンは古くからの市壁に囲まれ...