日本と中国の交流から見る歴史
中国と日本の間で長く続けている交流は数えると大体2000年ぐらいでもある。この2000年間一体何が起こったのか。下のような説明をさせていただきたいと思う。
紀元前221年当時の秦の時代の始皇帝は中国統一をした。この後さらなる政策を取り続けていた。馬車、度量衡、文字も統一した。当時の東アジアの中で、覇者としていた。その時期から周辺諸国の間で、いわゆる外交政策も取り始めた。日本は朝鮮半島を経由し、中国との交流の幕を開けた。この後の漢帝国は滅亡し、劉秀は再度漢帝国を復興し、後漢という時代が誕生した。後漢書の倭伝に記載され、光武帝劉秀が在位期間で日本の使節を朝貢し、劉秀が「漢倭奴国王」という金印を与え、冊封した。これは最初歴史書を載せられていた日本と中国の国家的な交流である。さらに、時代の変わりに、黄巾の乱により、後漢が滅亡され、三国時代が入り、魏、蜀、呉三つの国が分けていた状態である。当時の日本はさまざまな小国が分けていた。この二つの国の状態は非常に似ていると思う。この後、日本の邪馬台国の女王「卑弥呼」が当時の魏の明帝に朝貢し、明帝が「親魏倭王」という金印を与...