バングラデシュという国は大変新しい国だといえよう。建国は数十年前と、若い国なのである。そしてそれゆえに多くの問題を抱え込んでいる。なぜ、そのようなリスクを抱え込んでまでも独立したのか。そのことにわたしは大変興味を持ち、バングラデシュがとても面白い国のように思えた。
1947年より始まった東西パキスタン時代は、1971年の解放戦争による、東パキスタンの独立という形でその幕を閉じた。その後、東パキスタンはバングラデシュという国となった。この解放戦争の背景には色々な要素が絡んでいるものの、その根本となった理由は西パキスタンによる、東パキスタンの差別であった。その差別の対象は、文化から言語とさまざまであった。なぜなら、東西パキスタンは同じ国でありながらも、唯一の共通点は宗教だけというのが現状であったからだ。だがそんな中でも、独立戦争のきっかけとなったもっとも大きな要素といえば、やはり経済政策の差別であったといえよう。
東西で経済的な差別を行うことなど、本当に可能であろうか。そのためには西パキスタンが政府をコントロールする必要がある。そして、西パキスタンはそれをやってのけたのだ。西パキスタンはどのようにしてこの構造を作り出したのか。どのようにして国を操り、東パキスタンを経済的に差別したのだろうか。それは、パキスタンという国が建国された時のことを考えると自然と浮かび上がってくる。パキスタンが独立したとき、当初は東西がそれぞれ主権を持つこととなっていた。だが、後にこの二つを合わせて統一国家とすることになり、そしてそのままパキスタンは国となった。パキスタンがインドより独立した1947年、パキスタン建国の父と称えられた人物がいた。
東パキスタンの解放戦争
バングラデシュという国は大変新しい国だといえよう。建国は数十年前と、若い国なのである。そしてそれゆえに多くの問題を抱え込んでいる。なぜ、そのようなリスクを抱え込んでまでも独立したのか。そのことにわたしは大変興味を持ち、バングラデシュがとても面白い国のように思えた。
1947年より始まった東西パキスタン時代は、1971年の解放戦争による、東パキスタンの独立という形でその幕を閉じた。その後、東パキスタンはバングラデシュという国となった。この解放戦争の背景には色々な要素が絡んでいるものの、その根本となった理由は西パキスタンによる、東パキスタンの差別であった。その差別の対象は、文化から言語とさまざまであった。なぜなら、東西パキスタンは同じ国でありながらも、唯一の共通点は宗教だけというのが現状であったからだ。だがそんな中でも、独立戦争のきっかけとなったもっとも大きな要素といえば、やはり経済政策の差別であったといえよう。
東西で経済的な差別を行うことなど、本当に可能であろうか。そのためには西パキスタンが政府をコントロールする必要がある。そして、西パキスタンはそれをやってのけ...