私は衣服に対していわゆるコンプレックスがある。今自分が身に着けている衣服に対して、人はどのような判断を下しているのかということが大変気になるのである。もしくは、人がどのような服を着ているのかということについても興味が尽きない。洋服は何を基準に購入するのか。流行とは何か。昨年はダサいと思われていたものがどうして今年はカッコよいものとして取り上げられるのか。例えば、今年男性の間で流行したネルシャツは、私が小学校6年生のときに流行したものだ。中学校2年生までそれを着ていたら流行おくれだと馬鹿にされた覚えがある。そのように、流行は手を変え品を変え変動していき、たまに追うことが馬鹿らしく思うこともある。それなのに、我々はどうして程度の差はあれど、流行を受け入れるのか。どうして朝学校に行くときにあれこれとどの洋服を着ていこうかと悩むのか。堂々と自分が本当に好きなものを着ることにどうしてそんなに勇気がいるのか。流行の洋服店に行くためにはその洋服店に入るための相応の洋服を買ってきていかなければならない気がしてならない。ここまでくると洋服ノイローゼといってもいいかもしれない。
ファッションはこのように自分の日常に深く関わっている大きな要素だと思う。しかしファッションに興味を持ち、出費を重ねている人を、「うわべや外見ばかり気にしている」と軽蔑する傾向があることは否めない。先日も渋谷の初売り福袋のために、前日から並び、ブランド福袋を取り合うという模様をテレビニュースで見た。しかし、果たして本当にそうだろうか。服を着るということは、世間に思われているよりも深い意味を持っていると思う。これを機会に我々の、ファッションへの関わり方を広い視野を持って問い詰めていきたい。
『なぜ服にこだわるのか』
私は衣服に対していわゆるコンプレックスがある。今自分が身に着けている衣服に対して、人はどのような判断を下しているのかということが大変気になるのである。もしくは、人がどのような服を着ているのかということについても興味が尽きない。洋服は何を基準に購入するのか。流行とは何か。昨年はダサいと思われていたものがどうして今年はカッコよいものとして取り上げられるのか。例えば、今年男性の間で流行したネルシャツは、私が小学校6年生のときに流行したものだ。中学校2年生までそれを着ていたら流行おくれだと馬鹿にされた覚えがある。そのように、流行は手を変え品を変え変動していき、たまに追うことが馬鹿らしく思うこともある。それなのに、我々はどうして程度の差はあれど、流行を受け入れるのか。どうして朝学校に行くときにあれこれとどの洋服を着ていこうかと悩むのか。堂々と自分が本当に好きなものを着ることにどうしてそんなに勇気がいるのか。流行の洋服店に行くためにはその洋服店に入るための相応の洋服を買ってきていかなければならない気がしてならない。ここまでくると洋服ノイローゼといってもいいかもしれない。...