今求められているのは、現代医学にはないホスピスや補完療法等の、「癒し」や「人と人とのつながり」、現代には欠けてしまっている共生の理念のようなものである。それは、患者との日々のコミュニケーションであったり、自分という人間をもう1度振り返るために誰かと話をする事であったり、死を見守ってくれる家族や友人といった自分にとって大切な人との心と心の繋がりであったりする。これらはみな、人と人との関係を築くうえで、本来あるべき形である。けれど、この当たり前のような関係が、現代社会には欠けてしまっているのである。そしてもう一つ、「死」について学ぶことは、「生」を学ぶことに通じるということである。日々私達は、「死」を意識しないのと同じように「生」も意識していない。それは何故かと問いかけられると、私達人間にとってこういった行いは当たり前すぎて言葉で表現する事はとても困難だからである。だが、この当たり前と思われがちな日々の一つ一つの行いに対する人間の鈍感さが、「死」についても鈍感にさせているのではないか。「死」について学ぶことは、「生」を学ぶ事に通じる。私たちは尊い、いのちの意味について考えなくてはならない。
総合科目「生と死について考えるということ」
人間は誰でも一度生死について考える。それは何故だろうか。それは死が誰にでもやがて訪れ、受け入れなくてはならない事実だからである。死を見つめる事は、かけがえのない命の意味を問いかける事であり、互いにいのちを尊重しあうことに繋がるのである。
本講義により亡き祖父から聞いた言葉を思い出した。「色即是空」と「空即是色」の二つである。「色即是空」には全てのものは儚く、永遠に存在する事はなく、いつかは死んでしまうという「死」のイメージが、そして後の「空即是色」には、実体のないところから、全てのものが生み出されるという「生」のイメージが感じられるのである...