水俣病とは、工場から排出されたメチル水銀系化合物によってその周辺の魚介類が汚染され、その海域で捕獲された魚を食べることによって起こる中毒性中枢神経系疾患である。また、妊娠中の母親が汚染された魚を食べることによって、胎盤を通じてメチル水銀中毒になってしまう胎児性水俣病もある。熊本県水俣湾周辺で、昭和28年末頃から30年代にかけて患者が続出した。その症状は、手足の感覚障害、運動失調、視野狭窄、難聴、平衡機能障害、言語障害などの症状があげられる。その症状にはかなりの個人差があり、他の病気との区別がつきにくい症状が見られる場合もある。重病患者のなかには「植物的人間」といわれるほどの重病者もいる。その被害の大きさと影響の深刻さにおいて、熊本水俣病は史上最大の水汚染公害といわれている。
昭和31年5月1日に水俣病が公式確認され、熊本大学医学部研究班を中心として原因究明がなされたが、原因物質の割り出しは困難を極めた。しかし、昭和34年7月22日、有機水銀説が正式発表され、このころから水俣病の補償問題が表面化していった。その後、水俣病の原因追求が行われているなか、昭和40年に新潟水俣病が公式確認され、昭和42年6月12日、新潟水俣病患者らが新潟水俣病の汚染源である昭和電工を相手どり、慰謝料請求を新潟地裁に提訴し、日本初の本格的な公害裁判が始まった。そして、政府が昭和43年9月26日、水俣病がチッソ工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が原因であるという公式見解を発表し、水俣病が発見されてから12年目にしてようやく、水俣病は公害病として公式認定された。
その後、水俣病患者団体の水俣病患者家族互助会は、損害補償を厚生省に一任するかどうかで、一任派と訴訟派に分かれた。そして、訴訟派の患者・家族28世帯112人は、昭和44年6月14日にチッソを相手どり、損害賠償請求を熊本地裁に提訴した。これが、「熊本水俣病事件第一次訴訟」である。
水俣病とは、工場から排出されたメチル水銀系化合物によってその周辺の魚介類が汚染され、その海域で捕獲された魚を食べることによって起こる中毒性中枢神経系疾患である。また、妊娠中の母親が汚染された魚を食べることによって、胎盤を通じてメチル水銀中毒になってしまう胎児性水俣病もある。熊本県水俣湾周辺で、昭和28年末頃から30年代にかけて患者が続出した。その症状は、手足の感覚障害、運動失調、視野狭窄、難聴、平衡機能障害、言語障害などの症状があげられる。その症状にはかなりの個人差があり、他の病気との区別がつきにくい症状が見られる場合もある。重病患者のなかには「植物的人間」といわれるほどの重病者もいる。その被害の大きさと影響の深刻さにおいて、熊本水俣病は史上最大の水汚染公害といわれている。
昭和31年5月1日に水俣病が公式確認され、熊本大学医学部研究班を中心として原因究明がなされたが、原因物質の割り出しは困難を極めた。しかし、昭和34年7月22日、有機水銀説が正式発表され、このころから水俣病の補償問題が表面化していった。その後、水俣病の原因追求が行われているなか、昭和40年に新潟水俣病が公式確認さ...