「単一民族神話の起源」に見る人類学者と植民地の関係

閲覧数2,204
ダウンロード数5
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    第1章 はじめに
     「単一民族神話の起源」の中に書かれていた日本の人類学者と植民地との関係を日清戦争から日韓併合までの時期と日韓併合から後の時期の二段階に分け、優生学者の思想についても取り上げながら述べていきたい。
    第2章 混合民族論の発達
     まず人類学者が植民地支配と関わってくるのは日清戦争から日韓併合までの時期である。この時期に講義でも取り上げられた坪井正五郎をはじめとする人類学者が混合民族論の発達の基礎を作った。まだ人類学が草創期であったため単純な容貌判定が根拠とされることもあったが、人類学者の日本民族起源論は半島を通ってきた大陸系、南方から渡来したマレー系、そして在来のアイヌ系などの混合が日本民族であるという混合民族論でほぼ一致していた。鳥居龍蔵も容貌判定を根拠に学説を立てた一人だが、彼にとって日本民族のルーツ探しでもあって度々行われた遼東半島や台湾、韓国などでのフィールドワークは調査地とその時期が大日本帝国の膨張と一致しており、また依頼者や渡航手段の面でも軍や朝鮮総督府と関係があり、政治との深い結びつきが見られた。
    また坪井も新興学問である人類学の社会における理解や人材そして予算を獲得するために、人類学が国家の政治にも役立つということを強調する必要があり、混合民族論の政治的応用法を次々と生み出していった。坪井は大日本帝国内の異民族の存在にも自覚的で北海道でのアイヌの調査などを行い、日本を単一民族国家として日本民族の統一と純潔を主張する国体論者の加藤弘之らとは対立した。坪井は文明の発達や進歩は異なる者どうしの競争や交流によってこそ生じるものであって日本は多民族国家であるがゆえに発展するのだと述べた。また、純血を守るためには異民族を隔離するしかないと主張し、それに反対してアイヌや台湾の人々を共に日本人として共存させようと唱えた。しかしアイヌや台湾の人々は自らの意思ではなく強制的に編入されたのであって、坪井が寛容さと多様さを説くことも結局は併合状態の追認であった。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    「単一民族神話の起源」に見る人類学者と植民地の関係
    第1章 はじめに
     「単一民族神話の起源」の中に書かれていた日本の人類学者と植民地との関係を日清戦争から日韓併合までの時期と日韓併合から後の時期の二段階に分け、優生学者の思想についても取り上げながら述べていきたい。
    第2章 混合民族論の発達
     まず人類学者が植民地支配と関わってくるのは日清戦争から日韓併合までの時期である。この時期に講義でも取り上げられた坪井正五郎をはじめとする人類学者が混合民族論の発達の基礎を作った。まだ人類学が草創期であったため単純な容貌判定が根拠とされることもあったが、人類学者の日本民族起源論は半島を通ってきた大陸系、南方から渡来したマレー系、そして在来のアイヌ系などの混合が日本民族であるという混合民族論でほぼ一致していた。鳥居龍蔵も容貌判定を根拠に学説を立てた一人だが、彼にとって日本民族のルーツ探しでもあって度々行われた遼東半島や台湾、韓国などでのフィールドワークは調査地とその時期が大日本帝国の膨張と一致しており、また依頼者や渡航手段の面でも軍や朝鮮総督府と関係があり、政治との深い結びつきが見られた。
    また坪井...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。