三国時代・曹魏創立者、曹操。彼は圧倒的な支配力を以って三国を制しにかかったわけだが、その誇れる力のおおもとには、祖父・曹騰の高級宦官という地位がもたらした巨万の富とコネクションがあったことを忘れてはならない。
ここでは曹操自身というよりはその家系と、祖父の職である「宦官」についてざっと流れをまとめてみたい。
そもそも曹の家系は漢の高祖劉邦にまでさかのぼり、400年以上続く名門中の名門だ。前漢期に曹参という人物が居る。彼はもとは沛県の獄吏であったが、高祖劉邦の挙兵の折に従官として従い、武功をあげ天下統一に貢献した。劉邦が高祖となってからは片腕として漢王朝の基礎を築くことに尽力し、晩年は宰相を務めるに至った。
その後に続く子孫も代々侯に封ぜられ、曹家はおおむね漢帝国における本流に位置する。
そして時代は下り、宦官として大成した曹騰によって、曹家は再び栄えた。
宦官である曹騰はせっかくの富を引き継ぐ後継ぎを残せない。よって、古く曹参の時代からすでに親しい関係を持っていた夏侯氏より、養子として曹嵩を迎えた。曹嵩は富に任せ、太尉の位を一億銭をもって買い取った。その曹嵩の子が、曹操である。
曹操の祖を振り返る
~前漢代曹参と祖父・曹騰~
三国時代・曹魏創立者、曹操。彼は圧倒的な支配力を以って三国を制しにかかったわけだが、その誇れる力のおおもとには、祖父・曹騰の高級宦官という地位がもたらした巨万の富とコネクションがあったことを忘れてはならない。
ここでは曹操自身というよりはその家系と、祖父の職である「宦官」についてざっと流れをまとめてみたい。
そもそも曹の家系は漢の高祖劉邦にまでさかのぼり、400年以上続く名門中の名門だ。前漢期に曹参という人物が居る。彼はもとは沛県の獄吏であったが、高祖劉邦の挙兵の折に従官として従い、武功をあげ天下統一に貢献した。劉邦が高祖となってからは片腕として漢王朝の基礎を築くことに尽力し、晩年は宰相を務めるに至った。
その後に続く子孫も代々侯に封ぜられ、曹家はおおむね漢帝国における本流に位置する。
そして時代は下り、宦官として大成した曹騰によって、曹家は再び栄えた。
宦官である曹騰はせっかくの富を引き継ぐ後継ぎを残せない。よって、古く曹参の時代からすでに親しい関係を持っていた夏侯氏より、養子として曹嵩を迎えた。曹嵩は富に任せ、太尉の位を一億銭をもって...