グローバリゼーションは、資本・商品・サービス・労働力・技術といった諸資源ならびに情報の国際的移動の増大といった実態を意味するものと定義する。
19世紀末の世界は、資本、情報、モノ、人の移動によって経済の一体化が進み、少なくとも第一次世界大戦までは貿易、移民、資本移動が活発化した。1838年には、すでに大西洋横断の蒸気船が定期運航しており、1860年代になると大量の財がこの航路で運ばれるようになった。ドイツ帝国など保護主義的な国ですら貿易は自由に行われ、それ以上に人が、自由・繁栄・安全を求め多く移動した。また、イギリスの経済成長率が低下した際は、大西洋を渡る移住がいっそう魅力的になり、新たな移民が流入しアメリカ経済を刺激した。これにより、イギリスの輸出が刺激されイギリスの景気が回復することとなった。このように、「第一期グローバリゼーション」では基本的に労働と資本の移動によって、要素価格(資本、土地、労働の収益)が平準化される統合市場が機能した。
こうした「第一期グローバル化」が転機を迎えたのが、1914年〜1918年の第一次世界大戦だった。「大戦間期」においては、金融危機の発生を契機に資本逃避が激化し、銀行システムが不安定化した。銀行システム安定化のためには財政出動が不可欠となり、これが財政危機を誘発、そしてこの不均衡はさらに資本逃避をもたらした。こうした各国の不況連鎖に歯止めかけるBIS(国際決済銀行)、国際連盟、各国の中央銀行は、「大戦間期」全く無力でしかなかった。このように「大戦間期」には、貿易、移民、資本移動の面で正の相乗効果をもたらしたグローバル化がいわば「反転」し、負の効果を及ぼすに至った。また、こういった状況を調整・統御する国際的組織もシステムも存在しなかった。
グローバリゼーションは、資本・商品・サービス・労働力・技術といった諸資源ならびに情報の国際的移動の増大といった実態を意味するものと定義する。
19世紀末の世界は、資本、情報、モノ、人の移動によって経済の一体化が進み、少なくとも第一次世界大戦までは貿易、移民、資本移動が活発化した。1838年には、すでに大西洋横断の蒸気船が定期運航しており、1860年代になると大量の財がこの航路で運ばれるようになった。ドイツ帝国など保護主義的な国ですら貿易は自由に行われ、それ以上に人が、自由・繁栄・安全を求め多く移動した。また、イギリスの経済成長率が低下した際は、大西洋を渡る移住がいっそう魅力的になり、新たな移民が流入しアメリカ経済を刺激した。これにより、イギリスの輸出が刺激されイギリスの景気が回復することとなった。このように、「第一期グローバリゼーション」では基本的に労働と資本の移動によって、要素価格(資本、土地、労働の収益)が平準化される統合市場が機能した。
こうした「第一期グローバル化」が転機を迎えたのが、1914年~1918年の第一次世界大戦だった。「大戦間期」においては、金融危機の発生を契...