『世説新語』は、後漢から東晋までの名士の逸話を収めた小説集である。魏晋南北、すなわち三国六朝ひしめく激動戦乱の時代にありながら、『世説新語』の登場人物は、死と隣りあわせという陰湿さなどかけらも見せず、逆に機知に富んで切れ味がよく、鋭角的な物言いをする。よく笑い、よく怒り、よく嘆く。こうしたありのままの感情を、生き生きと描いている。
『世説新語』においてひとつ特徴的なのは、物語の切り取り方がごく個人的な部分に徹しているという点だ。実在した人物の言動を素材としながら、それら登場人物と歴史上の状況との関係、背後の具体的時間は殆ど明記されていない。政治的大状況に背を向け、小状況、つまりプライベートにのみ着目している。多様な人間群像について、あくまで個人を追及し、言動を鋭く切り取る。重視されるのは、何を描くか、よりも、どう描くか。特に言語表現に賭けられた情熱は膨大なもので、こうした部分に独特のおもしろさが認められる。
こうした機知溢れる表現の背景となったのが、「清談」の流行である。
清談は形而上学的な問題をテーマとした哲学談義と、人物批評の二つのジャンルに分けられるが、後者の人物批評はまさしく『世説新語』で大きく取り扱われている分野である。
逆に、『世説新語』とは清談の流行を受けながら書かれたといってもいい。
こうした人物批評盛行の外的条件となったのは「九品官人法」の制定であった。これは、魏の武帝曹操が人材登用の為に定めた制度で、人物をその才能によって九等に分け、それに応じた官位をつける、という趣旨を持つ。これにより、人物をランク付けするという発送が、人物批評の流行に拍車をかけるようになった。制度としての人物評価、という点から見ると、『世説新語』に描かれるような評価の内容は、主観的で曖昧な評価でしかないわけだが、むしろ人々はこのような独断偏見を歓迎し、ともかくより面白い機知の言葉で他人を一刀両断しようとした。それがユニークであればあるほど人々は喝采した。
『世説新語』に見られる機知表現
~清談で培われた言語感覚~
『世説新語』は、後漢から東晋までの名士の逸話を収めた小説集である。魏晋南北、すなわち三国六朝ひしめく激動戦乱の時代にありながら、『世説新語』の登場人物は、死と隣りあわせという陰湿さなどかけらも見せず、逆に機知に富んで切れ味がよく、鋭角的な物言いをする。よく笑い、よく怒り、よく嘆く。こうしたありのままの感情を、生き生きと描いている。
『世説新語』においてひとつ特徴的なのは、物語の切り取り方がごく個人的な部分に徹しているという点だ。実在した人物の言動を素材としながら、それら登場人物と歴史上の状況との関係、背後の具体的時間は殆ど明記されていない。政治的大状況に背を向け、小状況、つまりプライベートにのみ着目している。多様な人間群像について、あくまで個人を追及し、言動を鋭く切り取る。重視されるのは、何を描くか、よりも、どう描くか。特に言語表現に賭けられた情熱は膨大なもので、こうした部分に独特のおもしろさが認められる。
こうした機知溢れる表現の背景となったのが、「清談」の流行である。
清談は形而上学的な問題をテーマとした哲学談義と、人物批...