近代における排除と蔑視―韓国・朝鮮との関係性―
はじめに
「男」「女」「子ども」「大人」「学生」「日本人」などのように自分自身をかたちづくる要素は多様に存在する。このような要素はある一面では「私たち」という連帯感を生じさせ、コミュニケーションを円滑にする潤滑油となる。しかし、その一方では「~のくせに」(※「男」のくせに、「子ども」のくせに、「日本人」のくせに)といった文言に含まれるように、自分が「男」「学生」「日本人」ということを意識するとしないとに関わらず負のレッテル貼りによる排除を受ける可能性があることも否めないし、自分自身もそうしたレッテル貼りをしてしまう可能性もないとはいえない。
このような大枠による人間把握が、他者とのコミュニケーションを断ち切ってしまう(極端に言えば最初からコミュニケーションをとらない)可能性を生み出すのであれば、そのような他者との関係性を断絶させる大枠としての負のイメージを促進させるものとは一体何なのか。どのような条件の下でそのような認識が広まっていくのか。
江戸時代における朝鮮との関係性
(1)朱子学者の姿勢
(2)国学者の姿勢(日鮮同祖論)
2、明治維新後の朝鮮認識
(1)政治家、軍人による蔑視
(2)在朝邦人による蔑視
(3)在日邦人による蔑視
1、江戸時代における朝鮮との関係性
(1)朱子学者たちによる朝鮮朱子学の研究(朝鮮通信使を背景とする)
朝鮮朱子学(特に李退渓 の学問)に対する尊敬
→朱子学者たちをつぐ儒者たちは、各地の藩校や塾の師範になって武士その他の教養にあたった。
(2)国学者たち
日本の古典の優秀性を発見し、それを研究して神国日本の姿を描き出した一方、朝鮮については、太古において日本の神や天皇が朝鮮を支配し、あるいは日本の神が朝鮮の神あるいは王になり、朝鮮の王や帰属が日本に服属した、と考えた。(=日鮮同祖論)
※吉田松陰…幕末の時代に欧米列国の艦船が来航する時代に、国防の充実とアジア進出を説いた。松下村塾では
「、講和一定、決然として我がより是を破り、信を夷狄に失ふべからず、但、章程を巌にし、信義を厚うし、其間を以て国力を養ひ、取り易き朝鮮、満洲、支那を切り随へ、交易にて魯・墨に失ふ所は又土地に鮮満にて償ふべし」(1855年『獄是帖』)
「間に乗じて蝦夷を墾き、琉球を収め、朝鮮を取り、満洲をき、支那を圧し、印度に臨み、以て進取の勢を張り、以て退守の基を固くし、神功の未だ遂げざりし所を遂げ、豊国の未だ果たざりし所を果たすにしかず」(1856、『幽室文稿』)
明治維新後の朝鮮認識
(1)政治家、軍人による蔑視
(2)在朝邦人による蔑視
(3)在日邦人による蔑視
さまざまなコンプレックスから来る蔑視…(1)は西欧列強による外圧と不平等条約(資料①)、(2)は日本で失敗したという思い(資料②)。(3)は資料③を参照。
→共通するのはそこに相手側の心理は考えられていないということと、そのようなコンプレックスを生み出した源のほうには抗議のエネルギーが向かっていない、ということ。
特に(3)の一般大衆の蔑視感情の芽生えは、識字率の向上につながっている。(資料④)
資料:
(資料①)朝鮮を自己(瀬山註:日本)の支配圏にあるものとする見方は、すでに幕末から明治始めに芽生えていた。(中略)西欧諸国による植民地化を免れ、自らを国際場裡において西欧諸国と肩を並べる位置に置くために、中国、朝鮮を時には西欧諸国に対抗する友好国、同盟国と想定しながら
近代における排除と蔑視―韓国・朝鮮との関係性―
はじめに
「男」「女」「子ども」「大人」「学生」「日本人」などのように自分自身をかたちづくる要素は多様に存在する。このような要素はある一面では「私たち」という連帯感を生じさせ、コミュニケーションを円滑にする潤滑油となる。しかし、その一方では「~のくせに」(※「男」のくせに、「子ども」のくせに、「日本人」のくせに)といった文言に含まれるように、自分が「男」「学生」「日本人」ということを意識するとしないとに関わらず負のレッテル貼りによる排除を受ける可能性があることも否めないし、自分自身もそうしたレッテル貼りをしてしまう可能性もないとはいえない。
このような大枠による人間把握が、他者とのコミュニケーションを断ち切ってしまう(極端に言えば最初からコミュニケーションをとらない)可能性を生み出すのであれば、そのような他者との関係性を断絶させる大枠としての負のイメージを促進させるものとは一体何なのか。どのような条件の下でそのような認識が広まっていくのか。
江戸時代における朝鮮との関係性...