五世紀、渡来人の往来によって中国から漢字が移入されて以来、日本は文字を持つ国家となった。漢字を日本語として表すまでには幾許の時間を費やすこととなったが、義訓、借訓、借音といった表記の工夫や万葉仮名の開発などによって、それまでの口承文学から記載文学へと発展を遂げるに至った。
五世紀中期から末期にかけ、それまでの地方小国家が大和朝廷下に吸収される形で中央集権化されていき、七世紀の大化の改新を経てさらに中央集権化が顕著になっていった。また六~七世紀は大陸文化が積極的に取り入れられた時期でもあり、唐に模し律令や国史を作成しようとの意識は、まさにその表れであると言える。これらの点を踏まえ、『古事記』の成立、「スサノヲのヲロチ退治」から、上代文学の特質について論述する。
『古事記』は太安万侶による序の他にその成立を知る手だてはないが、その内容の主たる部分は、諸家伝承の帝紀・本辞が既に真実とは違い、虚偽の内容が含まれているため、帝紀を書物とし、旧辞を調べ直し、虚偽を正して後世へ伝えようというものであった。壬申の乱に勝利した天武天皇による国内の律令体制整備の中で国史作成作業は、日本が一個の独立国...