土佐日記・蜻蛉日記・枕草子概説

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    平安時代に入り初めて仮名書きの日記文学というジャンルが成立するが、その嚆矢というべき作品が紀貫之の『土佐日記』である。紀貫之は『古今和歌集』の撰者として活躍ののち、延長八(九三〇)年、土佐守として下る。その任期を終え、承平五(九三五)年帰京するまでの五十五日間の旅を描いた作品である。冒頭「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」の一文に、女性仮託による日記表現を行おうする意識がうかがえる。その理由として、漢文日記の堅苦しさから離れ、私的な内容を感情のままに執筆しようとしたものと考えられる。日記の内容を佐藤氏は「(1)亡くなった女児に対する悲しみ。(2)人間の利己心。(3)望郷の念。(4)貫之の歌論」※1と述べている。辛辣な表現、時にユーモアをまじえ、帰京までの出来事を虚構を交えながらも淡々と並べている中に、物言う「童」の存在が目を引く場面が見られる。貫之はこの童に自らの感情や思想を託したと言えよう。女性仮託の形式で日記の内容に自由性を与え、さらに屈託のない「童」の存在を置くことで、貫之の行動や言動に客観性を持たせようとしたことは偶然とは思われない。任地で亡くした女児への思い...

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