『古今和歌集』は日本最古の勅撰和歌集として、延喜五(九〇五)年、醍醐天皇が紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠見を編集にあたらせ成立することとなった。
成立にいたる大きな要因として、かな文字の発生が挙げられる。九世紀の唐風謳歌の時勢にあって和歌は衰微していたが、私的文学として、また男女間の恋歌、民謡などでその命脈を保っていた。勅撰三集と呼ばれる漢詩集の隆盛や公的行事の唐風化など、唐を模範とすることが良しとされていた時代から、唐文化の模倣からの脱却を図ろうとする自覚が高まる時期を経てのかな文字の発生は文学を女性に浸透させていくこととなった。これは『古今和歌集』において撰者自身と読み人知らずを除いた女性歌人の比率が二割以上(七〇余首)と高いことでも理解できる。宇多朝の仁和から寛平年間にかけて歌合が盛んに行われるようになったことも成立要因のひとつである。現存最古の歌合である在原行平の「在民部卿家歌合」や「寛平御時后宮歌合」、「亭子院女郎花合」などに和歌復興の機運が見られる。九世紀後半に成立した『新撰萬葉集』は万葉仮名で書かれた和歌に、それを漢訳した漢詩を添える構成、また宇多天皇の求めにより大江...