であるのだろうか。
小原國芳は人間を「一個の大宇宙」として捉えている。人間は自信の内に公的社会性と同時に私的個人性を含んだ存在なのである。なぜならば、人間は歴史的・社会的現実の中で生活し社会の名¥ために生きる連帯的公人であると同時に、自分自身のために生活し、自己一身として生きる単独的私人であるからである。つまり、「人間観」とは、一人ひとりの存在がかけがえのないものであること、そして一人ひとりが秘めている力の発揮を求めることである。
は、一人ひとりを見ること、言い換えれば人間に対する観方である。目の前に生き生きと活動している「全き存在」としての子どもを、全般的に観ているかいないかということが問
教育観はどのような視点で展開していくのか。それは人間観に基づいて展開していくものである。では、「人間観」とはどのようなものであるのだろうか。
小原國芳は人間を「一個の大宇宙」として捉えている。人間は自信の内に公的社会性と同時に私的個人性を含んだ存在なのである。なぜならば、人間は歴史的・社会的現実の中で生活し社会の名¥ために生きる連帯的公人であると同時に、自分自身のために生活し、自己一身として生きる単独的私人であるからである。つまり、「人間観」とは、一人ひとりの存在がかけがえのないものであること、そして一人ひとりが秘めている力の発揮を求めることである。
人間観に基づく時にたいせつなのは、一人ひとりを見ること、言い換えれば人間に対する観方である。目の前に生き生きと活動している「全き存在」としての子どもを、全般的に観ているかいないかということが問題なのである。すなわち、人間を「全人」として捉えられているか否かということである。
全き存在が全人である。では、全き存在とは、全人とは何を意味しているのだろうか。
全人とは完全な人なのか。それとも全体のことを指しているのか。どちらも違...