テロリズム根絶の手段として民主主義が持つ役割
はじめに
21世紀はテロとの戦いの時代であると言われる。それは20世紀後半に終結した冷戦後の世界の新しい対立構造をとらえた表現であるが、そのように言われるようになった契機は言うまでもなく2001年9月11日に発生した同時多発テロであった。この9.11事件以降、テロの直接の被害者であり、唯一の超軍事大国であるアメリカが目指したのは「パックス・アメリカーナ」、すなわち、アメリカの軍事力により維持される世界平和である。アメリカは例外主義に基づいた予防戦争を戦略として打ち出し、事件の翌月の10月からテロ支援国家であるとされたアフガニスタンのタリバン政権を壊滅させ、また2003年には大量破壊兵器の保持と、後には中東地域の民主化を理由にイラク戦争を引き起こした。彼らは民主主義を世界に広めることがテロを根絶する有効な方法であると信じているが、その方法は果たして適切なものであるのか、また、彼らの言う民主主義はどのような民主主義であるのか。そのような点を考察すると、予防戦争による民主化は様々な問題を含んでいる。本稿では予防戦争という手段による民主化の概念とその問題点を明らかにした後、それに代わる予防民主主義という概念こそが、世界に民主化を促し、テロリズムの予防策となりうることを述べていく。
予防戦争に基づいた民主化によるテロリズムの根絶
9.11事件に象徴されるテロリズムが国際社会全体から非難されるべき行為であることは明らかであろう。そして、「民主国家同士はめったに戦争をしない。そこから言えるのは、民主国家は国際テロリズムや国際的な暴力をめったに引き起こさないということだ(『予防戦争という論理』p.139)」というベンジャミン・R・バーバーの指摘からもわかるように、民主主義を世界に広めることがテロをなくす有効な手段の一つであることも明白である。その点で、イラク戦争の理由として中東地域の民主化を挙げたことは、たとえ当初の開戦理由であった大量破壊兵器の存在を証明できなかったことをごまかしたにすぎないという側面もあるにせよ、決して間違ったロジックではない。
しかしながら私は、世界の民主化を図るための手段が予防戦争理論を用いた武力介入によるものであるという点と、彼らの持つ民主主義の意味するところがつまるところアメリカ型の民主主義であるという二点において、現在のアメリカ政府が採っている様々な世界情勢への介入に反対する。
まず、第一の点についてであるが、私は予防戦争にという手段による民主化それ自体が、
民主主義的な考えに完全に反しているという点に問題があると考える。なぜなら、予防戦争の理論とは従来の自衛理論では対処できない、落雷のように突如として訪れるテロに対する理論として発展し、攻撃される可能性がある以上、その攻撃による莫大な被害の可能性をなくすために先制攻撃をしてもよいという理論であるが、アメリカがこの予防戦争を行う権限を自分たちだけが有していると考えているからである。これが正義や道徳を体現
したアメリカだけに予防攻撃が認められると考える例外主義である。しかしそもそも民主主義とはこのような自分たちの権威だけが正しいとみなし特権を認めるような、ある種の独裁を許さない。アメリカが民主主義と相反する特権に基づいた武力により民主化を推し進めることは、他の国家にとっては独善的な正義の押し付けであるとしか映らないであろう。バーバーはこの点を「国家は自衛の場合にのみ戦争という手段に訴えることができるが、アメリカは例外である。アメリカ
テロリズム根絶の手段として民主主義が持つ役割
はじめに
21世紀はテロとの戦いの時代であると言われる。それは20世紀後半に終結した冷戦後の世界の新しい対立構造をとらえた表現であるが、そのように言われるようになった契機は言うまでもなく2001年9月11日に発生した同時多発テロであった。この9.11事件以降、テロの直接の被害者であり、唯一の超軍事大国であるアメリカが目指したのは「パックス・アメリカーナ」、すなわち、アメリカの軍事力により維持される世界平和である。アメリカは例外主義に基づいた予防戦争を戦略として打ち出し、事件の翌月の10月からテロ支援国家であるとされたアフガニスタンのタリバン政権を壊滅させ、また2003年には大量破壊兵器の保持と、後には中東地域の民主化を理由にイラク戦争を引き起こした。彼らは民主主義を世界に広めることがテロを根絶する有効な方法であると信じているが、その方法は果たして適切なものであるのか、また、彼らの言う民主主義はどのような民主主義であるのか。そのような点を考察すると、予防戦争による民主化は様々な問題を含んでいる。本稿では予防戦争という手段による民主化の概念と...