荒田目条里遺跡出土3号木簡の考察

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    資料紹介

    ○遺跡の概要
     福島県いわき市平菅波字礼堂地内所在。
     阿武隈山地を源とする夏井川の下流、河口近くの右岸に所在する磐城郡家関連遺跡。遺跡の周辺には、『延喜式』に記載のある大國魂神社や、国指定史跡の甲塚古墳、緑釉陶器が数多く出土した小茶円遺跡などがある。また、南西の方向約1.5キロメートルの位置には、磐城郡衙に比定されている根岸遺跡や、古代寺院の夏井廃寺が所在する。荒田目条里遺跡付近は、1989年から一般国道6号バイパスに伴う発掘調査が行われた。その結果、弥生時代から江戸時代にかけての複合遺跡であることが判明した。1993年にこのバイパスの隣接地に民間の開発行為が起こり、再び発掘調査することになった。調査の範囲は、1,800平方メートルと僅かであったが、確認された幅10メートル以上にわたる古代河川跡の中から、木簡や祭祀遺物を中心とした遺跡群が数多く発見され、全国屈指の遺跡として注目を集めた。この河川の機能した時期は、出土した遺物や他の遺構との関係から、古墳時代中期から平安時代にかけての時期と考えられる。発見された遺物は、墨書土器300点を含む土師器・須恵器などの土器を中心とし、木簡や絵馬などの木製品、手づくね土器などの土製品、滑石製模造品などの石製品、馬具や手斧の刃などの金属製品、約70,000点にのぼる。中でも、「立屋津伴部福麿」や「里刀自」に宛てた郡符木簡2点を含む38点の木簡や、人面墨書土器・人形・馬形・弓形などの古代の祭祀に関わると考えられる遺物郡は、古代の律令政治の実体や祭祀のあり方を研究する上で非常に貴重なものである。

    ○木簡の出土状況
     本木簡は、幅10メートル以上の河川跡から出土。「仁壽三年」と記されており、仁寿三年は西暦でいうと853年である。
    出土遺構は、溝跡(河川など)8条、土坑6基、柱穴12基。

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    「荒田目条里遺跡出土3号木簡の考察」
    ○遺跡の概要
     福島県いわき市平菅波字礼堂地内所在。
     阿武隈山地を源とする夏井川の下流、河口近くの右岸に所在する磐城郡家関連遺跡。遺跡の周辺には、『延喜式』に記載のある大國魂神社や、国指定史跡の甲塚古墳、緑釉陶器が数多く出土した小茶円遺跡などがある。また、南西の方向約1.5キロメートルの位置には、磐城郡衙に比定されている根岸遺跡や、古代寺院の夏井廃寺が所在する。荒田目条里遺跡付近は、1989年から一般国道6号バイパスに伴う発掘調査が行われた。その結果、弥生時代から江戸時代にかけての複合遺跡であることが判明した。1993年にこのバイパスの隣接地に民間の開発行為が起こり、再び発掘調査することになった。調査の範囲は、1,800平方メートルと僅かであったが、確認された幅10メートル以上にわたる古代河川跡の中から、木簡や祭祀遺物を中心とした遺跡群が数多く発見され、全国屈指の遺跡として注目を集めた。この河川の機能した時期は、出土した遺物や他の遺構との関係から、古墳時代中期から平安時代にかけての時期と考えられる。発見された遺物は、墨書土器300点を含む土師器・...

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