☆アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例をふまえながら述べなさい。
■アヘン戦争
清朝は18世紀にはいると、キリスト教を禁止し、貿易を厳しく制限し、1757年以後は外国貿易を広州1港に限定して粤海関(広東税関)を置き、官許特権ギルドを組織している特定の商人達(公行)に外国貿易を独占させた。これに対してイギリスでは1600年に創立された東インド会社が中国貿易を独占し、中国の絹・茶・陶磁器などをヨーロッパに運び、毛織物やインド産の綿花を中国に輸出し、その不足分を銀で補う貿易をしていた。
B5・400字換算で約7~8ページ
※途中、箇条書きの部分を文章で書くと良いと思われます。
アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例をふまえながら述べなさい。
■アヘン戦争
清朝は18世紀にはいると、キリスト教を禁止し、貿易を厳しく制限し、1757年以後は外国貿易を広州1港に限定して粤海関(広東税関)を置き、官許特権ギルドを組織している特定の商人達(公行)に外国貿易を独占させた。これに対してイギリスでは1600年に創立された東インド会社が中国貿易を独占し、中国の絹・茶・陶磁器などをヨーロッパに運び、毛織物やインド産の綿花を中国に輸出し、その不足分を銀で補う貿易をしていた。しかし、18世紀以降、ヨーロッパ諸国での茶の需要が高まると、イギリスの対中貿易はしだいに輸入超過となり、中国への銀の流出が大きくなっていった。この片貿易を是正するために、1773年以後インド農民に栽培させたアヘンを中国へ輸出した。中国におけるアヘンの吸飲が普及するとともにアヘン貿易は拡大し、中国から銀が流出し始めた。貿易の拡大を求めるイギリスは、使節を中国に派遣して貿易の業務改善を協議させようとしたが、清朝には取り上げられなかった。
1834年東イ...