死という現象について

閲覧数2,078
ダウンロード数23
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    ―第3章 「生きること」と「死ぬこと」とより(4、自殺と安楽死の問題は、生き残る人の問題である)―

     私は、今回死という現象について考えてみたいと思う。死といっても、安楽死、自殺、他殺様々な死の形態がある。先生の本でネコの安楽死についての是非を読んで、1年前に高校の倫理の授業で、「安楽死は認めるべきか?」についてのディベートをやったことを思い出した。そこで、まず安楽死について考えてみようと思う。
     このディベートでは、賛成・反対どちらの立場につくかはあらかじめ決められていた。私は安楽死賛成の立場で議論することになった。偶然だが私の本心も一致していた。私が、安楽死を認める立場をとる最大の理由は、法的な立場からの見解だ。日本では、憲法13条によって「全て国民は、個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求権に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法上その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされている。このように日本国民は、公共の福祉に反しない限り、幸福追求ができる。それならば、死ぬことがその人にとっての幸福であれば、安楽死を認めてよいのではないか?また、憲法25条では国民の生存権が認められている。生存権が認められているのに死ぬ権利が認められていないというのは、おかしな話ではないか?人間つらいこともある。長い間生きていればいるほど死にたいと思うことはたくさんある。ただ安楽死は自殺とは違う。ほぼ死期が近づいている人に対して、その痛みを取り除きそれによって死期が早まるだけだ。今医療の現場では、インフォームド・コンセントがとられるようになり医師は患者やその家族に対して病気の状況や回復可能性などすべてを伝えなければならない方向に移りつつある。これはよいことだと私は思う。

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    哲学するネコ
    ―第3章 「生きること」と「死ぬこと」とより(4、自殺と安楽死の問題は、生き残る人の問題である)―
     私は、今回死という現象について考えてみたいと思う。死といっても、安楽死、自殺、他殺様々な死の形態がある。先生の本でネコの安楽死についての是非を読んで、1年前に高校の倫理の授業で、「安楽死は認めるべきか?」についてのディベートをやったことを思い出した。そこで、まず安楽死について考えてみようと思う。
     このディベートでは、賛成・反対どちらの立場につくかはあらかじめ決められていた。私は安楽死賛成の立場で議論することになった。偶然だが私の本心も一致していた。私が、安楽死を認める立場をとる最大の理由は、法的な立場からの見解だ。日本では、憲法13条によって「全て国民は、個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求権に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法上その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされている。このように日本国民は、公共の福祉に反しない限り、幸福追求ができる。それならば、死ぬことがその人にとっての幸福であれば、安楽死を認めてよいのではないか?...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。