第2章 台湾 <岐路に立つIT生産基地>
第一節 第二次世界大戦後の発展
1中華民国としての台湾の始まり(1940年代前半)
2輸入代替工業化から輸出志向工業化へ(1950年代と60年代)
3重化学工業化と中小企業の発展(1970年代~80年代半ば)
4対外直接投資、産業の高度化、サービス経済化(1980年代後半~)
第二節 PCとIC
1世界の生産を担うパソコン産業
2ファウンドリー主体の半導体産業
第三節 経済発展と民主化
第四節 中国との関係
第五節 迫られる革新
第一節 第二次世界大戦後の発展
1中華民国としての台湾の始まり(1940年代前半)
日清戦争後、台湾は清から日本に割譲され、植民地となっていたが敗戦により1945年に中国に復帰した。その時の中国は中華民国であり、中国国民党が権力を持っていた。その後、国民党は共産党との内戦に敗北し、49年に台湾へと逃れた。台湾へと逃れた中華民国(国民党)はアメリカの支持を得て保持され、消滅を免れた。これにより今後西側、特にアメリカおよび日本との結びつきによって経済発展していくことになる。
2輸入代替工業化から輸出志向工業化へ(1950年代と60年代)
50年代の経済政策として重要なのは、農業面では農地改革である。台湾は日本と共に成功例と言われている。政府は三段階に分けて行い、第一段階は小作料の上限の設定。第二段階は公有地の農民への払い下げ。第三段階では地主から買い上げた農地を小作人に払い下げ自作農中心の農業に転換した。プラス品種改良、化学肥料、新しい商品作物などにより50年代から60年代にかけて順調に成長した。
工業面では輸入代替工業化政策がとられた。しかし狭い台湾市場はすぐに飽和し、輸入代替工業化は行き詰った。そのため、60年代前後から輸出志向工業化政策が採られることになった。このうち重要な措置は二つ、一つは為替レートの切り下げと一本化である。第二次世界大戦や国民党と共産党の内戦による疲弊で台湾では深刻なインフレーションが発生し為替レートが割高になっていた。輸出を不利にしていたので政府はこれを大幅に切り下げ、同時に複数レートを単一レートに改めた。もう一つは関税の還付や免除である。60年代以降も依然として輸入代替工業化から国際市場を保護するための高関税が残っており、輸出製品の国際競争力は弱かった。このため輸出志向工業化を進める政府は輸出製品に用いた部品材料については先に支払った関税を環付し、あらかじめ関税を免除した。この結果、優秀な低賃金という、台湾が本来持っていた優位性が発揮されることになった。大量に労働力を使う労働集約型産業が輸出をバネに発展し、台湾経済全体の高度成長をもたらすことになったのである。
このような工業化は経済成長だけでなく所得分配も大きく改善した。労働集約型産業が失業者の雇用を吸収したためである。経済成長とともに貧富の格差は縮小していったのである。これはクズネッツ仮説という常識に反し、世界の注目を浴びた。
輸出志向工業化の過程で、日本とアメリカは重要であった。これは台湾製の工業製品の多くがアメリカ市場に吸収され、一方、原材料や部品や機械設備の多くが 日本からの供給によって支えられていたからである。また、日本とアメリカ企業による直接投資や技術移転は台湾の工業化の発展を促した。直接投資を通して技術や経営ノウハウなど、後発国台湾にはなかった知識が持ち込まれたからである。実際の台湾製工業製品の中には米系あるいは日系企業が始めて生産したものが少
第2章 台湾 <岐路に立つIT生産基地>
第一節 第二次世界大戦後の発展
1中華民国としての台湾の始まり(1940年代前半)
2輸入代替工業化から輸出志向工業化へ(1950年代と60年代)
3重化学工業化と中小企業の発展(1970年代~80年代半ば)
4対外直接投資、産業の高度化、サービス経済化(1980年代後半~)
第二節 PCとIC
1世界の生産を担うパソコン産業
2ファウンドリー主体の半導体産業
第三節 経済発展と民主化
第四節 中国との関係
第五節 迫られる革新
第一節 第二次世界大戦後の発展
1中華民国としての台湾の始まり(1940年代前半)
日清戦争後、台湾は清から日本に割譲され、植民地となっていたが敗戦により1945年に中国に復帰した。その時の中国は中華民国であり、中国国民党が権力を持っていた。その後、国民党は共産党との内戦に敗北し、49年に台湾へと逃れた。台湾へと逃れた中華民国(国民党)はアメリカの支持を得て保持され、消滅を免れた。これにより今後西側、特にアメリカおよび日本との結びつきによって経済発展していくことになる。
2輸入代替...