第10章 メコン川流域総合開発
①地域協力とGMSプログラム
(1)メコン川流域開発
全長4425kmの大河で、その流域には中国(雲南省)、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアおよびベトナムの6カ国が存在する。
その流域(雲南省+5カ国)には約2億5000万人の人々が移住し、合計国内総生産額、1900億ドルという市場が存在している。
農業生産に適した広大な土地のみならず、人的資源、自然資源、地理的優位性にも恵まれ、大きな発展のポテンシャリティーを持っている。
しかしながら、ミャンマー、ラオス、カンボジアは世界の最後発国(LDCs)に位置づけられており、タイ、ベトナム、中国においても農村部や山岳地域には貧しい人が少なくない。
この地域で開発を妨げてきたものはイデオロギー対立を原因とする国際紛争や国内の政情不安であった。
このような状況の中、各国がばらばらに開発を進めるのではなく、互いに協力しなければという発想からGMSプラグラム=大メコン圏開発計画が生まれた。メコン川流域国6カ国をメンバーとし、アジア開発銀行(ADB)を調整・推進機関として1992年にスタートした。
またメコン川および流域の開発の歴史は古く、仏領インドシナの時代に始まり、本格的には第二次世界大戦後である。
1947年:アジア極東経済委員会(ECAFE)が設立。
1957年:タイ、ベトナム、カンボジア、ラオスの4カ国が委員会を設け、ECAFEの協力を得て下流域の水資源開発を本格的にスタート。
1960年代:ベトナム戦争激化により委員会の活動は大きく低下。
1980年代:同委員会に代わり、アジア開発銀行が重要な役割を果たすようになり、GMSプラグラムの提唱につながる。
1990年代:一方の委員会も開発計画が進められ、95年にメコン川委員会(MRC)といて再出発。
メコン川委員会はGMSプラグラムとは別個に開発を推し進めているが、互いに補完関係にあるといえる。
(2)ASEANと地域統合
もともとこの地域の協力や統合を推進する国家間組織といて、ASEANがある。実質的には共産主義の浸透を防ぐという政治的意図をもとに結成されていたものであったが、冷戦の終結はASEANの本質的な役割、機能にまで変質をもたらすことになる。それがAFTA構想を打ち出した1992年の第4回ASEAN首脳会議である。これにより、本質的な役割が政治から経済へ切り替わったと評された。
ASEANはベトナム、ラオス、ミャンマーおよびカンボジアを加えることでより強力な組織となった。これらの国は長年、社会主義として資本主義国と対峙してきたわけであるが、この地域の両陣営がASEANという一つのもとに参集したことは、イデオロギー対立に最終的な終止符を打つ象徴的な意味を持っていた。
GMSプラグラムはASEANの協力・統合プラグラムとは別個に提唱されたものであるが、後発4カ国のASEAN加盟は両者の関係をより密接にした。
ASEANが進めるAFTAの実現には道路計画などのインフラ整備が不可欠である。GMSプラグラムは中国のインフラ整備を含んでいるため、同プラグラムが媒体となってASEANと中国を結びつける役割を果たしている。
②GMSプログラムの第一段階
GMSプラグラムは1992年に開始され、10年強の歴史を持っている。その最初の10年を第一段階ととらえておこう。
GMSプラグラムは加盟国の緩やかな合意のもと進められ、成果主義を取り入れている。GMS諸国は各国の協力を持続させ、確実に実行するために、政策レベルでは閣僚会議で地域間
第10章 メコン川流域総合開発
①地域協力とGMSプログラム
(1)メコン川流域開発
全長4425kmの大河で、その流域には中国(雲南省)、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアおよびベトナムの6カ国が存在する。
その流域(雲南省+5カ国)には約2億5000万人の人々が移住し、合計国内総生産額、1900億ドルという市場が存在している。
農業生産に適した広大な土地のみならず、人的資源、自然資源、地理的優位性にも恵まれ、大きな発展のポテンシャリティーを持っている。
しかしながら、ミャンマー、ラオス、カンボジアは世界の最後発国(LDCs)に位置づけられており、タイ、ベトナム、中国においても農村部や山岳地域には貧しい人が少なくない。
この地域で開発を妨げてきたものはイデオロギー対立を原因とする国際紛争や国内の政情不安であった。
このような状況の中、各国がばらばらに開発を進めるのではなく、互いに協力しなければという発想からGMSプラグラム=大メコン圏開発計画が生まれた。メコン川流域国6カ国をメンバーとし、アジア開発銀行(ADB)を調整・推進機関として1992年にスタートした。
またメコン川および流...