社会保障論 後期レポート課題
「ターミナルケアを考える」
法経学部総合政策学科
05A3068Y 長谷川泰史
<1>
私は今回「ターミナルケア」について取り上げたいと思う。
今後、わが国は超高齢化時代に突入していく中で後期高齢者の死亡が急増することが予想されている。具体的な数字で言えば、1993年段階で85歳の死亡が約20万人だったものが、2010年には40万人になるといった具合である。
こういった時代の中で「ターミナルケア」はますます重要度を増している。誰にでも訪れる最期のときをいったいどうやって迎えるか。
一口に「ターミナルケア」といってもいろいろな形がある。医療であれば同じ症状であれば患者の体質、年齢の違いはあれどだいたい同じような快方へ向かうための治療が施されるであろう。しかしターミナルケアは違う。例えば40代でガンを患った人もいれば80代で寿命を迎える人も、また若くして難病を患って悲しくも死期を迎えてしまった人もいるだろう。こういった人たちはそれぞれ違う人生を歩み、そして違う価値観をもっているためそれぞれのターミナルケアが施される必要がある。医療のように「受給者中心」の目線ではうまくいかないのである。
またターミナルケアと死生観というものは切っても切れないものである。「人間はどこからきて、どこに行くか」、という永遠のテーマであるが、戦後日本においては見て見ぬふりをされ「死生観の空洞化」といったものまで起きている。
日本人は元々「自然のスピリチュアリティ」、すなわち自分は死んだら自然にかえるんだという死生観をもっていたのである。それは「桜ロード」に出てきた懸命に桜を守ろうとし、ずっと一緒に育ってきた桜をなくしたくないと願い続けた人々の姿に、如実に表れているのである。
<2>
■はじめに
冒頭にもかいたとおり、今回私は「ターミナルケア」について取り上げたいと思う。この1年の社会保障論で印象に残ったのがこのテーマだった。誰もが避けてとおれない、むしろ必ずいきつく場所である。ちょっとしみじみしてしまった。
講義では新たな取り組みをしている老人ホームの映像をみた。この老人ホームでは入居者の主体性を尊重し、様々な活動を行っているということだったが、こういう取り組みを行っているところはまだまだ少数だときいた。入居者の主体性を尊重するということは一方で介護を行う者の負担もそれだけ大きくなることを意味している。機械的に介護が行われるのは当然としてそうなってしまうのかもしれない。
ただ私はこの光景を他人事として受け入れることはできなかった。数十年後、年老いたとき私はどうなっているのだろうか。昔のことを忘れ、よくわからないことをぶつぶつつぶやいているかもしれない。そうなったときに私の主体性を尊重してくれる環境がそばにあったら、それは大変喜ばしいことでありむしろそうあってほしいと願った。
冒頭から私の個人的感情を書き連ねてしまったが、今回は私になりにターミナルケアのなんたるとかを改めて考えてみたいと思う。
■「ターミナルケア」の意味
まずターミナルケアについて考えていくにあたり、改めてその言葉の意味をとらえてみたい。
ターミナルという言葉は、医療の場合、患者の死期が近いということであるが、この期間について明確な定義があるわけではない。通常は3~6ヶ月以内の予測されている場合に使われる。こういった患者に対する心身的・精神的ケアを包括
社会保障論 後期レポート課題
「ターミナルケアを考える」
法経学部総合政策学科
05A3068Y 長谷川泰史
<1>
私は今回「ターミナルケア」について取り上げたいと思う。
今後、わが国は超高齢化時代に突入していく中で後期高齢者の死亡が急増することが予想されている。具体的な数字で言えば、1993年段階で85歳の死亡が約20万人だったものが、2010年には40万人になるといった具合である。
こういった時代の中で「ターミナルケア」はますます重要度を増している。誰にでも訪れる最期のときをいったいどうやって迎えるか。
一口に「ターミナルケア」といってもいろいろな形がある。医療であれば同じ症状であれば患者の体質、年齢の違いはあれどだいたい同じような快方へ向かうための治療が施されるであろう。しかしターミナルケアは違う。例えば40代でガンを患った人もいれば80代で寿命を迎える人も、また若くして難病を患って悲しくも死期を迎えてしまった人もいるだろう。こういった人たちはそれぞれ違...