「近代思想の枠組みとその限界」
はじめに
本レポートでは近代思想を西洋近代、とりわけ16世紀から18世紀を中心として、その枠組みと限界を論じる。まず16世紀におけるF.ベーコン(1561-1626)が17世紀以降の科学的思想にどのような影響を及ぼしたのかを確認する。次いで17世紀のニュートン(1642-1727)の出現が近代科学の礎を築き、その思想が18世紀以降の(いわゆる近代)思想に脈々と受け継がれていったことを概観する。最後に20世紀に入ってから西洋近代思想がどのように受容され、また批判されたのか、その限界を探る。
F.ベーコンと科学的手法の発明
F.ベーコンは「知は力なり(knowledge is power)」という標語で知られ、自然の中で私たちが生きているという中世的な自然観を払拭し、むしろ科学の力で自然を改変していくという近代的な思想の足がかりを作った。彼は従来の三段論法を批判し、実験に基づいて自然の一般法則を見出す手段として科学的帰納法を考案したとされている。彼のこの手法は、20世紀前半にウィーン学派が起こした「論理実証主義(positivisme logique)」運動における標語であった「実験と観察(examination and experiment)」に至るまで脈々と引き継がれていったと言ってもよいだろう。それゆえ、F.ベーコンにその源流をみる近代思想の限界は、この論理実証主義が20世紀以降さまざまな立場から批判された点において理解することができるのであり、これについては後に第3節で述べるところである。
ニュートンと近代科学の興隆、そしてカントまで
16世紀においてベーコンが足がかりを作った近代的科学的思考の精神は17世紀に活躍したニュートンの中に生きていた。ニュートンはイギリスの数学者、物理学者であり、古典物理学を確立して近代科学の道を開いたとされている。ベーコンは、コペルニクス、ケプラーだけでなく、彼の侍医であったハーヴィーらによる科学上の業績にすら盲目であったが(ラッセル、1970年:538頁)、彼らの学説を理論的に裏づけたのがまさにこのニュートンであった。
彼は運動の三法則を理論的に証明し、万有引力の法則を見出したことで知られるが、とりわけ近代思想において彼の果たした業績は絶対空間と絶対時間を放棄したことにあった。
18世紀において最もニュートンの影響を受け、近代思想の重要な枠組みを形作ったのはドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)であった。彼の初期の著作がもっぱら自然科学に関するものであったことからも容易に理解できる通り、カントは哲学者である以前に科学者であった――カントがニュートンの影響を受けているのはこの点においてである。事実、ドイツ語で科学を意味する”Wissenschaft”が同時に学問一般をも含意しているように、哲学と科学とは不可分なものであり、ドイツで大地震が起こったときに人々がその原因を尋ねて訪れたのは哲学者のヘーゲルだった。
周知のごとく、カントは『プロレゴメナ』の中で自らの学的手法をコペルニクスにたとえて「コペルニクス的転回」と称した。これは認識論上の転回であり、カントは自然や時間・空間といったものが客観的に存在するのではなく、直観の形式として時間・空間という枠組みがあり、その枠組みの中で私たちは世界を認識していると考えたのだ。
ニュートンが科学的な手法として帰納法を採用したとすると、カントは哲学においては、ある原理から一般法則へと下降する演繹的方法を採用したということができる
「近代思想の枠組みとその限界」
はじめに
本レポートでは近代思想を西洋近代、とりわけ16世紀から18世紀を中心として、その枠組みと限界を論じる。まず16世紀におけるF.ベーコン(1561-1626)が17世紀以降の科学的思想にどのような影響を及ぼしたのかを確認する。次いで17世紀のニュートン(1642-1727)の出現が近代科学の礎を築き、その思想が18世紀以降の(いわゆる近代)思想に脈々と受け継がれていったことを概観する。最後に20世紀に入ってから西洋近代思想がどのように受容され、また批判されたのか、その限界を探る。
F.ベーコンと科学的手法の発明
F.ベーコンは「知は力なり(knowledge is power)」という標語で知られ、自然の中で私たちが生きているという中世的な自然観を払拭し、むしろ科学の力で自然を改変していくという近代的な思想の足がかりを作った。彼は従来の三段論法を批判し、実験に基づいて自然の一般法則を見出す手段として科学的帰納法を考案したとされている。彼のこの手法は、20世紀前半にウィーン学派が起こした「論理実証主義(positivisme logique)」運...