正常と異常の境界
はじめに
私たちは普段何気なく「正常」や「異常」という言葉を使っている。しかし正常と異常の境界はどこにあるのかという問題については常に曖昧にされてきた。どこまでが正常の範囲内なのか、何をもって異常とするのか。これを議論するにはまず私たちが「異常」だと感じる様々な状況を考え、それらの共通点を探っていくことから始めることが必要だろう。
「異常」を感じるのはどんなときか
自分の常識や理解の範疇を超えた行為や、状況が生じたとき、人はそれを「異常だ」と感じる。自分の身体が思い通りに動かなかったり、普段は起こりえない痛みを感じたりすると、それは「異常」と認識され、私たちはそれを「正常」な状態に戻すべく行動しようとする。病院へ行ったり、薬を飲んだりするのはその典型的な例であるといえる。
異常には2通り考えられる。一つは「自分でその異常が把握できる」もの、もう一つは「自分ではその異常に気づくことがない」ものである。冒頭の例は前者の場合で、自分で異常に対処するような行動を起こすことができるが、後者の場合はそうはいかない。実際にはどこかに異常をきたしているにもかかわらず「自分は正常だ」と思っているので、自分では何の対策も講じることが出来ない。例えば交通事故で脳に衝撃を受けたが、外面からはなにも問題はないように見えたのでそのまま普通の生活を続けた結果、突然吐き気や嘔吐にみまわれて死んでしまった、または末期になるまでガンの進行に気づかなかった、というようなケースは容易に想像できるだろう。また精神疾患の場合は、自分では異常に気づかず、家族や友人に連れられて、なんだかよくわからないうちに病院に来たというようなことも珍しくないようだ。
どちらの異常により問題があるかといえば、言うまでもなく後者であろう。自分の異常に気づくというのは、それ自身「正常」な身体反応である。その「正常」な機能が働いていないという点で、自分の異常に気づかないというのはもう一段階上のレベルの「異常」であるともいえる。
しかしこの「異常」は、周りの人間から見た客観的異常であり、その異常を認識できていない限り、本人にとっては「正常」なものと受け止められる。正常と異常の境界を考える上で、この客観的異常の認識と主観的異常の認識の違いは非常に重要なポイントとなる。
半側空間無視
脳の障害の場合、こういった「異常」は多種多様な様相を見せる。人間の脳はとても複雑な構造を持っているので、ある一部の損傷が、一見非常に不可解な症状を引き起こすこともよくある。特に何かを「認識する」という作業は、数段階に分けて考えることが可能であり、そのうちのどの段階で障害が起きたか、という違いによって、生じてくる症例も変化する。
自分の異常が理解できていない、非常に顕著な例として半側空間無視が挙げられる。半側空間無視とは、脳の損傷の反対側に提示された刺激に反応したり、注意を向けたりするのに失敗する症状で、大抵の場合左半側を無視している。半側空間無視の症例は、周囲の人間から見て明らかで、むしろ本人がわざとそうしているのではないかと思えるほどわかりやすい。具体的には食事を左側半分だけ残したり、眼鏡のつるが片方だけちゃんとかかっていなかったり、片方に曲がることが出来なかったりする。
ここで注意しておくべきなのは、半盲患者との違いである。半盲患者と半側空間無視の患者の最も大きな差は、自分の視野が異常をきたしていることに対する認識があるかないか、ということだ。半盲患者は、視野の異常に対する不自由感を訴えるのに対し、半側空間無視
正常と異常の境界
はじめに
私たちは普段何気なく「正常」や「異常」という言葉を使っている。しかし正常と異常の境界はどこにあるのかという問題については常に曖昧にされてきた。どこまでが正常の範囲内なのか、何をもって異常とするのか。これを議論するにはまず私たちが「異常」だと感じる様々な状況を考え、それらの共通点を探っていくことから始めることが必要だろう。
「異常」を感じるのはどんなときか
自分の常識や理解の範疇を超えた行為や、状況が生じたとき、人はそれを「異常だ」と感じる。自分の身体が思い通りに動かなかったり、普段は起こりえない痛みを感じたりすると、それは「異常」と認識され、私たちはそれを「正常」な状態に戻すべく行動しようとする。病院へ行ったり、薬を飲んだりするのはその典型的な例であるといえる。
異常には2通り考えられる。一つは「自分でその異常が把握できる」もの、もう一つは「自分ではその異常に気づくことがない」ものである。冒頭の例は前者の場合で、自分で異常に対処するような行動を起こすことができるが、後者の場合はそうはいかない。実際にはどこかに異常をきたしているにもかかわらず「自分は正常だ...