投票参加・方向について

閲覧数2,802
ダウンロード数6
履歴確認

    • ページ数 : 6ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     3月に20歳の誕生日を向かえ、私にも選挙権が与えられる身分となった。その後、選挙はまだ何も実施されていないので、どのような雰囲気なのか?・行くべきものであるのか?・どのような方針でどこに投票するのかを決めるのか?などといった詳しいことはまだ分からないのだが、有権者がどのようにして投票参加や投票行動を決定するのかということに興味を抱いたので、これについてのレポートを書くことにした。
     本レポートでは投票参加についてはこれの計算式とマスメディアの影響を、投票行動については日本から若干外れてしまうところがあるが、コロンビア学派とミシガン学派について注目していきたい。
    投票参加の決定
    【投票行動の計算式 R=P×B-C+D】
    従来の伝統的政治学の概念においては、前提としての人間像を自分の利益でなく社会の利益のために活動する善き市民であると考えられていたが、W・ライカーとP・オードシュックはこれを利己性と最大化を中心に考える合理的な行動政治人という人間観を考えた。彼らは善き市民を主知主義的人間観と批判して、衝動・慢性的であると考えた。コレに対して彼らが1950年代から考え始めたのが合理的な行動政治人であった。これが今日となって経済面においては公共選択論、政治面においては合理的選択アプローチなどにいたっているのである。経済学においては自分の利益を最大化するように行動しこれが社会の利益の最大化につながる示す経済人として研究されてきた。しかし政治面においても確かに国民全体の利益を考える人、善き市民が必要とはなるが現実としては経済同様に自分の利益を最大化すると説明したほうが便利であるので合理的選択アプローチをするようになった。つまり人が自らの利益を計算して行動すると考え、投票参加も計算をするのであればどのように計算をするかと考え、そしてR=P×B-C+Dという計算式を導き、1968年に世に送り出したのである。ここではR、P、B、C、Dについてそれぞれに着目していくことにしたい。
     まずRについて、これは「投票参加の利益」(以下、Rと記す)を意味するものであり、これが0を上回れば(R>0)、選挙権を行使することになり、0以下(R≦0)であれば棄権することになると言われている。
     次にBについてだが、これは「政党間期待効用差」(以下、Bと記す)を示すもので、これがもし0であれば政党間政策に変わりはないということになる。現在、与党案と民主党案では差はあるものの、政策のわからない人や興味のない人にとっては政策に差があってもこの値は0になってしまうと思うので、このような人は投票にいかないということが考えられる。
     Pは「自分の一票が選挙結果に影響を及ぼすことに関する主観的確率」(以下、Pと記す)を示す。これは、有権者が多くため、何十ないしは何千万票のうちの一票で微々たるものであるが、主観的確率に関しては接線か否かという状況や、結果が明らか分かる無風選挙などの状況によって変化するものであるとされているが、現実には自分の一票の投票によって結果が左右するという選挙はあまり見られないと思われる。だからPが限りなく0に近い値であると考えられるため、P×Bの値も限りなく0に近い値になることが想像できる。従って、Bを認知せず、各政党の政策の違いやどのような政策が出されているのかということを知らない人、興味のない人にとってはP×B=0となってしまうだろうし、仮にBを認知していたとしても(B>0の場合)、Pに関しては0に近い値になると思われるので、投票に行くには多くのハードルがあると思われ

    タグ

    レポート政治学政治選挙投票選択行動

    代表キーワード

    政治

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

     3月に20歳の誕生日を向かえ、私にも選挙権が与えられる身分となった。その後、選挙はまだ何も実施されていないので、どのような雰囲気なのか?・行くべきものであるのか?・どのような方針でどこに投票するのかを決めるのか?などといった詳しいことはまだ分からないのだが、有権者がどのようにして投票参加や投票行動を決定するのかということに興味を抱いたので、これについてのレポートを書くことにした。
     本レポートでは投票参加についてはこれの計算式とマスメディアの影響を、投票行動については日本から若干外れてしまうところがあるが、コロンビア学派とミシガン学派について注目していきたい。
    投票参加の決定
    【投票行動の計算式 R=P×B-C+D】
    従来の伝統的政治学の概念においては、前提としての人間像を自分の利益でなく社会の利益のために活動する善き市民であると考えられていたが、W・ライカーとP・オードシュックはこれを利己性と最大化を中心に考える合理的な行動政治人という人間観を考えた。彼らは善き市民を主知主義的人間観と批判して、衝動・慢性的であると考えた。コレに対して彼らが1950年代から考え始めたのが合理的な行動...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。