『「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい。』
一、「やまなし」の教材研究
「やまなし」は、不思議だけれど何か心ひかれるような、そして、初めて聞くのになぜか昔から知っているような気持ちを抱かせる宮沢賢治の童話の魅力を存分に持つ作品である。作品は、語り手の「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。」から始まり、「私の幻灯は、これでおしまいであります。」で終わる。二枚の幻灯は、「五月」と「十二月」である。
二つの世界は、それぞれ、美しい色や光、音などが、視覚的、絵画的に表現されている。よって擬音語・擬態語や比喩表現などが大変多く使われており、言葉の響きや言葉のリズムを感じることが楽しく、音声化に適した作品であり、音読することによって、目だけで言葉を感じるだけでなく、声に出して言葉を感じ、また耳から聞くことによって言葉を感じるなどといった様にそれぞれの感じ方ができる。感じたことから素直に想像を広げていく楽しさを味わえるようにすることが大切である。そして、自分の感じたこと、友達の感じたことを比べ、「どちらが正しいか」ではなく、それらを合わせて、場面の情景や人物の様子などを、より豊かに想像する楽しさを感じられるようにすることが大事である。また、物語の中に「かわせみ」と「やまなし」、昼と夜、動と静、生と死などが対比的に描かれた「五月」と「十二月」の世界の違いや、反対に二つの世界に、変わらず共通するものを考えることで、「生きること」の意味を感じることができるかもしれない。「やまなし」を読みながら、賢治の描いた世界を読み味わい、「自然」や「生命」などについても合わせて考えることができる教材である。
二、二つの世界の比較
「やまなし」には「五月」と「十二月」という二つの世界がある。それぞれの世界の違いや共通するものを授業記録の児童の発言を考察していきたい。
まず、「やまなし」という物語を読んで、カニの兄弟の話がこの物語の軸となり、そこに色んな出来事により想像を膨らませ考えることができる。そのカニの兄弟の会話をとりあげ、児童の発言を見てみる。
児童①は「五月」の内容を踏まえて、「五月」の時のカニの兄弟の状態と物語の内容を簡潔にまとめ、復習をした段階で授業が始まる。この児童①の意見で授業が始まることで、最初から授業が展開しやすく、とても良い入り方だと思う。
児童①は「十二月」の冒頭の文章「カニの子供らはもうよほど大きくなり」というところから、カニの会話、行動からカニの成長について考えている。それは、自然と物語の「五月」と「十二月」の比較にもなっているのだ。このことが指導目標である「五月」と「十二月」の世界の違いや共通するものを考える、ということに近づいてきている。児童①や、児童⑩はカニの成長のことについて考えている。しかし、児童④や、児童⑪21のようにそれぞれの世界の情景を比較して考えている児童達もいる。
この授業の指導者は、児童達の色んな方向の考えからくる質問に対しての返答と進行をしている。私が思うに、ある程度小さなテーマを作り、例えば「カニの成長」や「五月と十二月の情景」等といったようにまとめた段階をもつことで、そのテーマに関して意見、考えが深まると同時に物語を学習する上で理解しやすいと考える。「やまなし」の教材の学習をまとめる時間においても、小さなテーマずつ頭に入っていることで印象に残りやすく、学習のまとめの時も小さく整理していたものを集め、大きく整理することで学習した効果が上がると考える。
『「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例(p.142-170)の児童の発言を考察しなさい。』
一、「やまなし」の教材研究
「やまなし」は、不思議だけれど何か心ひかれるような、そして、初めて聞くのになぜか昔から知っているような気持ちを抱かせる宮沢賢治の童話の魅力を存分に持つ作品である。作品は、語り手の「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です。」から始まり、「私の幻灯は、これでおしまいであります。」で終わる。二枚の幻灯は、「五月」と「十二月」である。
二つの世界は、それぞれ、美しい色や光、音などが、視覚的、絵画的に表現されている。よって擬音語・擬態語や比喩表現などが大変多く使われており、言葉の響きや言葉のリズムを感じることが楽しく、音声化に適した作品であり、音読することによって、目だけで言葉を感じるだけでなく、声に出して言葉を感じ、また耳から聞くことによって言葉を感じるなどといった様にそれぞれの感じ方ができる。感じたことから素直に想像を広げていく楽しさを味わえるようにすることが大切である。そして、自分の感じたこと、友達の感じたことを比べ、「どちらが正しいか」ではなく、それらを...