【Q0102】東洋の歴史 第1投題【2017年度】

閲覧数3,097
ダウンロード数26
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    佛教大学【Q0102】東洋の歴史の
    第1投題B判定合格レポートです。

    投題:次のテーマから一つを選択してリポートしなさい。
    (a)儒教は中国社会を理解するうえで大きな意味を持つ思想である。それを中国の歴代王朝がどのように扱ってきたかについて述べよ。
    (b)中国史上における王朝交代の中から一つを選択して、それが起こった政治的・経済的・社会的背景について述べよ。

    私はbを選択し、隋から唐への王朝交代について記述しました。
    所見は
    「隋が滅亡した3つの背景を中心に投題にそって作成されています。一点、何点を述べれば、唐建国について述べるのであれば、隋が滅亡した理由、つまり矛盾を唐が克服したことを論じれば、隋滅亡と唐建国が繋がったレポートとなります。」
    とのことでしたので、ご参考になさってください。

    本科目は題意にきちんと沿うことが求められているようなので、章立てなどを工夫した記述を心がけました。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    次のテーマから一つを選択してリポートしなさい。
    (b)中国史上における王朝交代のなかから一つを選択して、それが起こった政治的・経済的・社会的背景について述べよ。
    はじめに 
    中国は周知のように歴史が古く、前2世紀ごろの殷王朝から始まり、周・秦・漢・隋・唐・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国というように王朝や国家が変遷してきた。元はモンゴル系、清は満州系民族が建国したものであり、民族間で争う抗争も発生してきた歴史がある。本稿では日本とも正式な国交が開かれ、日本人にも馴染み深い隋から唐への王朝交代ついて政治的・経済的・社会的背景をもとに述べていく。
    隋の建国・体制・滅亡
     6世紀末、北周の外戚であった楊堅(隋の文帝)は隋朝を開き、400年に及ぶ分裂時代を終わらせ中国を統一した。文帝は律令制による国制の基本を整え、君主権を強化し中央集権的な国家をつくり上げた。中でも彼の治世で特筆すべきことは、地方制度の改革である。後漢以来、州・郡・県の3級制がとられていたが、文帝は郡を廃止し州・県の2級制へと変更した。また同時に従来の州の長官である刺史は僚属の任命権や兵権などを握っていたが、これも中央...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。