日大通信 日本史概説 分冊Ⅰ

閲覧数2,789
ダウンロード数13
履歴確認

    • ページ数 : 6ページ
    • 会員660円 | 非会員792円

    資料紹介

    次の三問について、すべて答えなさい。
    一、乙巳の変から持統天皇までの政治の動向についてのべよ。

    二、藤原北家の台頭から白河院政までの政治の動向についてのべよ。

    三、中世後期の寄合の文化を略述せよ。

    合格レポートですがあくまでも参考にお使いください。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    乙巳の変により蘇我蝦夷、入鹿が滅び、孝徳天皇が即位すると中大兄皇子と中臣鎌足は大化改新の詔という公地公民制などの政策を宣言し、天皇を中心とした政治を行った。その後、大王候補であった古人大兄皇子や有間皇子、右大臣蘇我倉山田石川麻呂らが謀反の疑いにかけられ、相次いで滅ぼされる中で、中央集権国家への歩みが段階的に進められていった。白村江の戦いの後、中大兄皇子は天智天皇として即位し、668年に近江令が制定された。これは中臣鎌足らが中心となって編集した令であり、日本最初の令と言われている。政府は、唐のように、法律や制度の完備した中央主権国的な法治国家を建設することが目標とし、その為には国家の基本法典を整備する事が必要であった。672年に天智天皇が亡くなると、大友皇子と大海人皇子との間で大王継承をめぐって壬申の乱が起こった。大海人皇子が勝利し、翌年飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位すると近江朝廷側の有力豪族の没落によって、天武天皇中心の中央集権国家体制の形成にはずみがついた。天武天皇は684年に姓を8つに分けて豪族・氏族を単位とする八色の姓を制定して氏姓制度の再編と、天皇中心の新しい身分秩序のもとに...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。