『月に憑かれたピエロ』におけるシュプレッヒゲザング
はじめに
ソプラノ独唱と5人の独奏者による室内楽のために書かれたシェーンベルクの作品《ピ
エロ・リュネール Pierrot Lunaire(月に憑かれたピエロ)Op.21》では、語りと歌の中間
Sprechgesang)という特殊なスタイルが試みられ、き
わめて特異な表現効果が生じている。本稿では、この作品におけるシュプレッヒゲザング
の表現効果について、作品の成立背景を踏まえつつ、いくばくかの考察を試みたい。
作品について
《ピエロ・リュネール》は、アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874-1951 )
が 1912 年に作曲した作品で、同年 10 月 16 日、ベルリンにて初演された。女優アルベルテ
ィーネ・ツェーメから「朗読に使う詩に音楽を」との委嘱を受けたシェーンベルクは、報
酬が高額だったため即座に作曲を引き受けたが、「作曲する詩を彼の独断で選択する権利、
1のだという。そ
して、作曲を始めた彼は、自らの内的な欲求に突き上げられていく。
テクストは、ベルギーの詩人アルベール・ジローの詩集《ピエロ・リュネール》(1884
年ブリュッセルにて公刊)を、オットー・エーリッヒ・ハルトレーベンが独訳したもので
の耽美主義的なテクストと言える。19 世紀末のヨーロッパでは、市民層の楽天的な進歩信
仰に反発して、文学者や芸術家が感覚的な享楽や美に耽溺する風潮(デカダンス)があっ
た。特にウィーンではこうした「世紀末」気分が濃厚であり、シェーンベルクにとって、
この《ピエロ・リュネール》への付曲は、結果的に「当時住んでいたベルリンから、ウィ
ーンの世紀末を批判的に回想するものとなっ」
2.•
シェーンベルクは、ワーグナーやマーラーらの影響の色濃い後期ロマン派の作風を出発
点に、やがて調性の枠を出て〈無調〉による作曲に新しい活路を見い出し、1923 年に、新
たな「相互の関係のみに依存する 12 の音による作曲の方法」(12 音技法)を確立するに至
る。
た、無調のもつ直接的な表現力が活きている。
この作品は、音楽における表現主義の傑作と位置づけられている。表現主義という概念
は、19 世紀後半、美術の分野において、印象主義の対立概念として芽生えたもので、ドイ
ツにおける表現主義芸術運動は、1905 年に、キルヒナー
3を中心にドレスデンで結成された
1 フライターク 宮川訳 1998 :120
2 ヘッセ 城所訳 : 6
3 Ernst Ludwig Kirchner, 1880-1938
《Die Brücke(橋)》という美術運動にはじまり、文学、音楽など芸術全般に伝播した。こ
れは、世紀転換期の混乱と危機感のなかにおける、芸術家の前衛的な革命意識の高揚によ
って発展したものである。表現主義美術では、印象主義に対抗する形で、激しい内的感情
の抽出が志向され、対象が象徴的な色使いでデフォルメされて描かれたが、音楽上の表現
主義も、同様に激しい感情表出の志向を特徴とし、その結果、従来の伝統的慣習的な西欧
音楽の規則や手法を捨て、調性音楽の秩序を破壊する方向に向かうことになる。このよう
な、調性の枠を離脱して無調の世界を切り開いていく時代の旗手となったのがシェーンベ
ルクであった。シェーンベルクは画家でもあり、ココシュカ
4やカンディンスキー5といった
同時代の画家と親交があったが、《ピエロ・リュネール》の作曲に際しては、1909 年にウィ
ーンで上演
『月に憑かれたピエロ』におけるシュプレッヒゲザング
はじめに
ソプラノ独唱と5人の独奏者による室内楽のために書かれたシェーンベルクの作品《ピ
エロ・リュネール Pierrot Lunaire(月に憑かれたピエロ)Op.21》では、語りと歌の中間
Sprechgesang)という特殊なスタイルが試みられ、き
わめて特異な表現効果が生じている。本稿では、この作品におけるシュプレッヒゲザング
の表現効果について、作品の成立背景を踏まえつつ、いくばくかの考察を試みたい。
作品について
《ピエロ・リュネール》は、アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874-1951 )
が 1912 年に作曲した作品で、同年 10 月 16 日、ベルリンにて初演された。女優アルベルテ
ィーネ・ツェーメから「朗読に使う詩に音楽を」との委嘱を受けたシェーンベルクは、報
酬が高額だったため即座に作曲を引き受けたが、「作曲する詩を彼の独断で選択する権利、
1のだという。そ
して、作曲を始めた彼は、自らの内的な欲求に突き上げられていく。
テクストは、ベルギーの詩人アルベール・ジローの...