人間失格
第一の手記
第一の手記で葉蔵は自身幼年期を語っている。恥の多い生涯を送って来た。
彼には、人間の営みというものが何もわかっていなかった。自分の幸福の観念と、世の中すべての人たちにとっての幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、葉蔵はその不安のために眠れぬ夜を過ごし、発狂しかけた事もあった。自分は、幸福なのだろうか。彼は幼い時から、幸せ者だと人に言われ続け、其の実、彼自身は常に地獄の思いで、自分を幸せ者だと言った人々の方が、比較にならない程ずっと幸せなように見えた。
彼には、災いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえあった。
つまり葉蔵には隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当がつかなかった。考えれば考えるほど、人間が分からなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりだった。彼は隣人と、ほとんど会話が出来なかった。何を、どう言えばいいのか、分からなかった。
そこで葉蔵が考え出したのは、道化だった。
それは、彼の、人間に対する最後の求愛だった。彼は人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間をどうしても思い切れなかった。そうして、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのだった。表では、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサービスだった。
彼は幼少の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、全く見当もつかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事も出来ず、既に道化の上手になっていた。葉蔵は、一言も本当の事を言わない子供になっていった。
葉蔵には、言い争いも自己弁解も出来なかった。人から悪く言われると、いかにも自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じていた。
人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分自身の言動に、微塵も自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナーバネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、葉蔵はおどけた変人として、次第に完成されて行った。
とにかく、人間たちの目障りになってはいけないというような思いばかりを募らせ、道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサービスをした。
学校での葉蔵は尊敬されかけていた。尊敬されるという観念もまた、彼を、おびえさせた。完全に近く人を騙して、ある時、ひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉微塵にやられて、死ぬ以上の赤恥をかかせられる、それが、彼にとって「尊敬される」という状態の定義であった。
葉蔵は、金持ちの家に生まれたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得ていた。子供の頃から病弱で、よく寝込んで学校を休んでいたが、試験を受けてみると、クラスの誰よりも「できて」いるようだった。具合のよい時でも、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせ、笑わせていた。また、綴り方には、滑稽噺(こっけいばなし)ばかり書き、先生から注意されても、やめなかった。
人間失格
第一の手記
第一の手記で葉蔵は自身幼年期を語っている。恥の多い生涯を送って来た。
彼には、人間の営みというものが何もわかっていなかった。自分の幸福の観念と、世の中すべての人たちにとっての幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、葉蔵はその不安のために眠れぬ夜を過ごし、発狂しかけた事もあった。自分は、幸福なのだろうか。彼は幼い時から、幸せ者だと人に言われ続け、其の実、彼自身は常に地獄の思いで、自分を幸せ者だと言った人々の方が、比較にならない程ずっと幸せなように見えた。
彼には、災いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえあった。
つまり葉蔵には隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当がつかなかった。考えれば考えるほど、人間が分からなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりだった。彼は隣人と、ほとんど会話が出来なかった。何を、どう言えばいいのか、...