私がデカルトと出会ったのは、確か高校一年の夏休みだった。「方法序説」を読んで、感想文を書けという宿題が出されたからだ。その時は、何が書かれているのか、何を言わんとしているのか、全くと言っていいほど分からなかった。今再び、この本を前にして、少しは理解できようになった自分の成長を嬉しく思う。
さて、このデカルトの「方法序説」は、大きく分けて六部あり、第一部では、もろもろの学問について様々な考察が示されている。第二部では、デカルトが求めた方法を含むおもな規則について示されており、第三部では、第二部で求めた方法から取り出された道徳の規則のいくつかが示されている。第四部では、神と人間精神との存在証明、第五部、第六部では、自然学や医学等の問題や説明が記されている。その中で、特に第一部、第二部が、自分の身近に感じたので、考察していくことにする。
第一部について。ここでデカルトは、良識=理性(真偽を判断する能力)は、人間なら誰しも等しく具えており、大事なのは多くの理性を持つことではなく、また良い精神を持っているだけでは十分でなく、理性を良く用いることだと述べている。本来、私たちは、それぞれ違う意見を持っているが、それは理性の差ではなく、自分の考えをそれぞれ違う道で導き、考えも同一ではないからだ、としている。私たちは、意見が違うと、どちらが正しくてどちらかが間違っていると考えがちだが、デカルトの考えから言えば、そういうことではないらしい。
また、私たちは普段から、古い文献を読み、そこから教訓や、先代の偉人達の思想などを吸収しようと努力しているが、デカルトは、それもあまり善しとはしていない。というのも、自分達のその時の状態を性格に把握するためや、初めて見たものを良く考えるためには有益であるが、あまり過去の事柄ばかり興味を持つと、今の事柄に無知になってしまう、というのだ。
私がデカルトと出会ったのは、確か高校一年の夏休みだった。「方法序説」を読んで、感想文を書けという宿題が出されたからだ。その時は、何が書かれているのか、何を言わんとしているのか、全くと言っていいほど分からなかった。今再び、この本を前にして、少しは理解できようになった自分の成長を嬉しく思う。
さて、このデカルトの「方法序説」は、大きく分けて六部あり、第一部では、もろもろの学問について様々な考察が示されている。第二部では、デカルトが求めた方法を含むおもな規則について示されており、第三部では、第二部で求めた方法から取り出された道徳の規則のいくつかが示されている。第四部では、神と人間精神との存在証明、第五部、第六部では、自然学や医学等の問題や説明が記されている。その中で、特に第一部、第二部が、自分の身近に感じたので、考察していくことにする。
第一部について。ここでデカルトは、良識=理性(真偽を判断する能力)は、人間なら誰しも等しく具えており、大事なのは多くの理性を持つことではなく、また良い精神を持っているだけでは十分でなく、理性を良く用いることだと述べている。本来、私たちは、それぞれ違う意見...