第5章 修正

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    第5章

    忘れられる権利
    I はじめに

     情報通信技術の発展により、私たちの生活環境は劇的に変化してきました。かつては、世界の状況を把握するためには、多大な時間と労力がかかり、また、テレビ局や新聞社など限られた主体にしか、情報発信できず、また発信の範囲も限られていた。しかし、現代の情報の流れを見てみるとどうでしょうか。グーグル(Google)やヤフー(Yahoo)といったインターネットの検索エンジンの登場により、私たちは手に入れたい世界中の情報を一瞬で収集することが可能になりました。また、情報発信の点でも、フェイスブック(Facebook)やツイッター(Twitter)といったソーシャルネットワーキングサービスが発展し、一般の人が一瞬で、世界中に情報を届けることが可能となりました。こうして、世界中がつながり、利便性が向上し、現在でもIoT(モノのインターネット)、ビッグデータといった言葉が飛び交い、今後もこの流れがより拡大していくと見込まれます。このように、私たちの生活を劇的に変化させ、便利にしたインターネットですが、同時に多くの弊害をもたらしています。そこで、この問題を憲法的な側面で捉えたときに重要である「忘れられる権利」について本章では考えていきたいと思います。
    II.忘れられる権利の展開

    ヨーロッパでの展開

     そもそも「忘れられる権利」とは、どのような定義なのでしょうか。2009年11月6日、日本の参議院にあたるフランスの上院議会で、プライバシーの権利の保障を強化するための法案に「忘れられる権利」の意義が明記されました。これが、忘れられる権利がはじめて登場した時であると認識されています。その後、この問題はヨーロッパ全土で議論されるものとなり、2010年11月4日に、欧州委員会で忘れられる権利を「収集された目的にとってもはや必要でなくなった際にはデータを完全に削除してもらう権利」と定義されました。そして2012年1月25日、同じ欧州委員会でデータ保護に関する改革案を検討する際、 「忘れられる権利」が提唱され、実際に同日に公表されたEUデータ保護規則提案の第17条に忘れられる権利が明記されました。これはインターネットを取り巻く環境におけるプライバシー権の新しい考え方として、世界中から注目されました。

     これらの議論に基づき実際に忘れられる権利に関して判断が下されたのが、2014年5月13日欧州司法裁判所の先決判決です。ここで、欧州司法裁判所の先決判決について少し説明します。欧州連合(EU)内の国にはそれぞれ裁判所がありますが、これらの裁判所はEU法の適用や有効性に疑義を抱く場合、自ら判断せず、欧州司法裁判所に判断を求め、これに対する欧州司法裁判所の判決を先決判決といいます。そして、この欧州司法裁判所での先決判決では、スペインの一般男性が、社会保障費の滞納により、自宅を競売にかけられたことを報じた10年以上前の新聞記事が、インターネットで自分の名前を検索した際の検索結果に今も表示されるのは、プライバシーの侵害であるかどうかという点が問題になりました。この問題に対して、欧州司法裁判所は、一定の条件下で、グーグルなどのインターネット検索企業はそれらの記事が表示されないように、リンクを削除することが認められるとしました。これが「忘れられる権利」を正式に認めた初めての判決であるといえます。このようにヨーロッパでは「忘れられる権利」に対して肯定的な立場をとっていることがわかります。また、この判決を受け、googleは判決自体に関しては批判をしましたが、判決を受け入れ、EU内のgoogle 使用者の削除申請を受け入れる方針を決定し、実際に検討委員会が立ち上げられ、EU内からは判決後約1年間で24万件の申請がgoogleに送られたとしています。また、世論調査でも、EU市民の75%がインターネット上の個人情報を削除できる権利が必要であると回答しており、ヨーロッパでは政府の動きだけでなく、国民の間でも忘れられる権利の考え方が浸透していることがわかります。こうして現在ヨーロッパでは、「忘れられる権利」は重要な一つの権利として認められています。
    「忘れられる権利」に対するアメリカの反応

    ヨーロッパの欧州司法裁判所の判決により、「忘れられる権利」は確立したといえますが、これに対するアメリカの反応は非常に批判的でした。ハーバード大学ロースクールのジョナサン・ジットレイン教授は、アメリカの主要紙の一つである、ニューヨーク・タイムズで、欧州での忘れられる権利についての判決は、「アメリカで同様のことが起これば、憲法違反となるだろう」と指摘しています。また、「この判決はアメリカの第一修正と衝突する」という批判も展開されています。第一修正とは、アメリカ合衆国憲法修正第一条をさし、この条文では「連邦議会は…言論あるいは出版の自由を制限する法律を制定してはならない」と述べられており、これがアメリカでの表現の自由を強く支えています。これに基づいて、裁判官でもあり、法と経済学の第一人者でもあるリチャード・ポズナー氏は、「たとえ人が心底隠したがるような事実であっても、その者の報道価値のある事実の公表に対して賠償請求する私人の権利を第一修正は制限しているのである」と述べており、アメリカでは、表現の自由が個人のプライバシーに対して優先する判断がなされており、これが、忘れられる権利に対してヨーロッパと対照的な立場をとる要因であると考えられます。
    III. 日本における忘れられる権利の根拠

    憲法13条

    忘れられる権利を考える上で、13条は欠かせない条文となっています。日本国憲法は、14条以下において、詳細な個別の人権規定を置いていますが、これらの人権規定は歴史的な観点から、政府といった国家権力によって侵害されることの多かった重要な権利・自由を列挙したものに過ぎないものであり、すべての人権に関する規定を網羅的に掲げたものではないとしています。

    そこで、国家権力によって侵害されることの多かった権利以外での人権も保護されるために、「自律的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利・自由」として保護に値すると考えられる法的な側面で見る利益に関しては「新しい人権」として、憲法上保障される人権の一つであると考えるのが妥当であると考えられています。ここで、この「新しい人権」の根拠となる規定が、憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)です。

    この幸福追求権に対して、幸福追求権はあらゆる生活に関する行為(例えば、散歩の自由など)といった行為まで憲法で保護すべきであるという一般的行為自由説と、個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体というと考えるべきであるという人格的利益説がありますが、一般的には後者が妥当であると考えられています。理由としては、前者の一般的行為自由説の通りに幸福追求権を理解してしまうと、人権のインフレ化が起きることが懸念されるためです。分かりやすく述べると、もし幸福追求権が幅広く適用されてしまうと、憲法によってこれらの権利を保障する価値を低下させることにつながってしまうためです。こうなってしまえば、かえってこれらの権利を保障するべきではないという結論に至ることになります。よって、従来では、人格的利益説がとられています。
    プライバシー権

    プライバシー権は上に述べた、憲法13条で保障される幸福追求権を根拠として、裁判例などで認められています。本書の冒頭部分でも述べたように、このプライバシー権は、個人の私的領域に他者を無断で立ち入らせないという自由権的側面、つまり消極的な権利として理解されてきましたが、現代の情報社会の発展により、「自己に関する情報をコントロールする権利」(自己情報コントロール権)として、捉えられるようになりました。これは、これまでのプライバシー権が認めてきた消極的な自由権的側面だけでなく、プライバシーの保護を積極的に公権力に対して請求していくという請求的側面が重視されるようになってきていることを意味しています。また、4章に述べた住基ネットやマイナンバーなど、個人に関する情報を行政機関が集中的に管理する現代において、個人が自らに関する情報を自らコントロールし、個人情報についての閲読・訂正または抹消請求を求めることが必要であると考えられるようになってきたためだと考えられます。
    忘れられる権利の憲法上の根拠

    「忘れられる権利」は新しい権利であるため、現在では、様々な定義が様々な論者によって述べられています。しかし、冒頭にも述べた、欧州委員会によって定義された「収集された目的にとってもはや必要でなくなった際にはデータを完全に削除してもらう権利」という忘れられる権利の定義で考えて問題はないと思われます。そして、「忘れられる権利」は日本国憲法上で考えて、全く新しい権利と考えるべきではなく、上に述べた自己情報コントロール権を、従来の公権力と私人の間だけではなく、私人と私人の間にも適用したもの(私人間効力)であると考えられます。
    表現の自由との衝突

    上にも述べたように、アメリカが忘れられる権利と強く否定する立場をとるのは、合衆国憲法により、表現の自由が強く保障されているためです。それでは日本ではどうでしょうか。以下の判例から見てみましょう。
    ①知る権利、表現の自由との衝突

     a) 表現の自由とは

     自己の意思を外に向かって表現しようとする欲求は、人間の本性に根差したものです。そのため、憲法21条があげている集会、結社、言...

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