「倉橋惣三について調べ、彼が保育者にどのようなことを求めていたのかまとめなさい」という課題に対するレポートです。
文末には返却時の講評も表記しています。
第1課題 第2設題
倉橋惣三(1882~1956)は、大正初期から第二次世界大戦後にかけて活躍した幼児教育の研究、実践者である。早くから幼児教育に関心を持ち、長く東京女子高等師範教授、付属幼稚園の主事を務め、日本幼児教育についての基礎的理論を集大成した。彼は、大正デモクラシーの思潮の中で自由主義的教育が盛んとなった背景の中、東基吉や和田実などの先輩の理論や、自らの幼稚園の実践経験を踏まえた上で、形式的権威的になっていたフレーベル主義を排し、幼児本来の生活を活かしながら幼児の自己充実を実現しようとする保育理論を展開した。彼がお茶の水幼稚園の主事として最初にした仕事は、フレーベルの恩物を棚から出し、竹籠の中に入れ、単なる積み木の遊具にしたことであった。また、ホールで子どもを見下ろしていたフレーベルの肖像画を下ろし、職員室に持っていった。そもそも、子どもの中に宿る神性を開発するために必要なのが遊びであり、その遊びに熱中できる遊具=恩物を用いて、子どもの創造的な自己活動を正しく育成するために設けられたのが幼稚園の始まりであり、フレーベルの精神であった。倉橋はこうした行為を通してフレーベルの理想...