個人主義について

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    レポート  個人主義について
                        
    個人主義について考察するにあたり、まず一般的な個人主義の定義は何であるか考えてみる。[個人主義=国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視し、その権利と自由を尊重することを主張する立場や理論](参照・大辞泉)とあるが、この概念と集団主義(個人の権利や利益、社会集団の自律性や自由な活動を認めず、すべてのものを国家の統制下に置こうとする主義)は、歴史主義から社会学への過程を考える上で最も重要な対立概念である。まず、この概念が生まれた過程から考察していく。  中世のヨーロッパでは、人々に国民意識はなく王権も弱かったのだが、近世になるとさまざまな中間集団(共同体)を束ねるシンボルとして王権=国家が権力を持ち始める。ここで述べる中間集団とは、ギルド(近世の閉鎖的な同業者組合)や村落共同体、身分共同体や宗教団体、親族や家族などの集団のことを指す。つまり、当時の市民は個々の人格としてではなく、共同体の構成員、全体のパーツの一部として捉えられていたのである。しかし、近代の歴史の流れの中で行われてきた国家との闘争で、中間集団は衰退してゆく。そして、国家と中間集団から解き放たれた剥き出しの「個人」が社会の有力な構成要素となり、また国家も中間集団から逸脱した剥き出しの個人を直接捉えるようになり、ここに「個人主義」と「ナショナリズム」の礎が誕生したのである。
    次に、この概念の礎を確立し発展させた事柄を探る。まずひとつはイギリスから始まった資本主義経済の発展である。17世紀に産業機械が導入され、綿織物産業を中心とする産業革命が起こった。この革命にある基本的な思想は市場社会のそれである。個人の私的利益に基づく自由な経済活動が市場経済を形成し、結果として公益の拡大を可能とする。経済学者の祖アダム・スミスが著書「諸国民の富」(タイトルがすでに資本主義を推奨しているようにも感じられる)の中で、有名な『神の見えざる手』のフレーズを用いて持論を展開している。要約すると、人々がみな合理的な経済人(ホモ・エコノミクス)として振る舞うことによって、需要と供給は価格均衡点において一致し、神の見えざる手によって秩序が完成する、ということである。このような思想のもとに、個々の利益を個々に求めることは正当化され、自由資本主義、個人主義は人々に浸透していった。
     もうひとつはキリスト教世界の解体である。宗教改革やカトリックとプロテスタントとの宗教戦争、先に述べた絶対王政の強化などにより、神学的世界観が崩壊してすべてを宗教によって解釈する態度を改め、科学的、合理的に理解する考え方が発展し、社会を人間の力によって構築されるとする世俗的世界観が台頭してきた。つまり、すべての判断を宗教の教えにゆだねるのではなく、自立した個人として考え、行動することが推奨され始めたのだ。
     最後の重要な要素は、先ほどの身分制解体と資本主義の発達による進行ブルジョア階層の台頭である。先ほどの資本主義経済の発展により個々の経済活動が活発となり、多くの産業資本家が生まれ、経済力を持つようになった。それに加えてコーヒーハウス、カフェという新しい集会場という「公共性」をもつ場所(コーヒーは頭をさえさせる。理性重視の時代にマッチ。お酒でないことに注意)が出来て市民達が集い、商売の情報収集の場、文学活動や政治活動の拠点となったことも大きく影響している。これらの要因を元に、市民は社会集団の一パーツから脱皮し、個人として社会活動に参加する力と思想と環境を手に入れること

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    個人主義について考察するにあたり、まず一般的な個人主義の定義は何であるか考えてみる。[個人主義=国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視し、その権利と自由を尊重することを主張する立場や理論](参照・大辞泉)とあるが、この概念と集団主義(個人の権利や利益、社会集団の自律性や自由な活動を認めず、すべてのものを国家の統制下に置こうとする主義)は、歴史主義から社会学への過程を考える上で最も重要な対立概念である。まず、この概念が生まれた過程から考察していく。  中世のヨーロッパでは、人々に国民意識はなく王権も弱かったのだが、近世になるとさまざまな中間集団(共同体)を束ねるシンボルとして王権=国家が権力を持ち始める。ここで述べる中間集団とは、ギルド(近世の閉鎖的な同業者組合)や村落共同体、身分共同体や宗教団体、親族や家族などの集団のことを指す。つまり、当時の市民は個々の人格としてではなく、共同体の構成員、全体のパーツの一部として捉えられていたのである。しかし、近代の歴史の流れの中で行われてきた国家との闘争で、中間集団は衰...

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