裁判官と事実認定
1 裁判官による刑事事実認定の系譜と木谷・石井論争
裁判官による事実認定研究
藤野英一;再審となった刑事事件の事実認定の過誤の原因検討
青木英五郎;裁判官の心証形成過程に生じるあらゆる問題を取り上げて、裁判官が証拠評価を行う際に留意しなければならない問題を指摘
その後→判断における経験則・注意則の研究へ
司法研修所における事実認定研究
田辺公二;事実認定における諸種の誤謬および判断の主観性についての警告、青木等とともに事実認定教材シリーズ(供述心理、法廷技術)
20年以上中断(田辺死去)
再開→自白の信用性、情況証拠の観点から見た事実認定等
研究の一方の担い手である青木が官僚裁判官による事実認定自体を否定して陪審制採用を主張している。また研究成果のマニュアル化が進展しており、深刻な誤判回避の内容が引き継がれない結果が生じた。
木谷・石井論争
木谷
刑事裁判の事実認定→実態的真実主義VS訴訟制度上の制約→①真犯人を一部逃がすことになっても無実のものを処罰しない。②真犯人は絶対に逃さない。そのためには無実のものがときに犠牲になってもやむをえない。との二つの立場が対立
わが国の刑事裁判は、①の考えに基づいているはずであるが、冤罪事件が発生しているのは、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、「合理的疑い」があれば被告人に無罪判決を言い渡すということになっても、どの程度の疑いがあれば、「合理的な疑い」があるということになるかが、明確でない。
A 社会秩序に軸足を置く裁判官は、真犯人を取り逃がさないようにするため、「合理的疑い」の範囲をできるだけ狭く解しようとする。
B 無辜の不処罰を重視する裁判官は「合理的疑い」の範囲をやや広く取ろうとする。
木谷はこの立場に立つ
石井
無辜の不処罰と真犯人の処罰の分かれ目にあるのが「疑いの合理性」の有無であり、かかる「合理的疑い」には本来広狭はないはず。疑わしきは被告人の利益にという鉄則を重視するあまり、「不合理な疑い」を「合理的な疑い」に取り込むことは、逆の場合同様正義に反する。
石井の反論
「合理的な疑い」と「不合理な疑い」との間には、きれいに区別できない帯状の中間地帯がどうしても残る。「合理的疑い」の範囲をやや広めに取ったからといって、「不合理な疑い」を「合理的な疑い」の中に取り込むことになるはずがない。→無辜の不処罰を重視して、「合理的疑い」の範囲をもう少し広めにとってほしい。
2 論争の背景
「合理的疑い」の範囲をどう取るかの判断の背後には、真犯人必罰に軸足を置くか、無辜の不処罰主義に軸足を置くかの差がある。
事実上かかる区別が存在することを示す興味深い判決説示
刑事一審裁判官→合理的疑いを狭く解しすぎた問題があるが、真犯人を逃してはならないとの命題に近い立場からの悪しき分析主義との考え方があることにも照らすと、普通の裁判官なら同じ判断をしなかったとはいえない、として違法性を否定。
刑事第二審裁判官→合理的疑いを持って審理すれば、最高裁の指摘する疑問に気づいてしかるべきあったとしながらも、普通の裁判官の少なくとも四分の三以上が同じ判断をしなかったとはいえない、として違法性を否定。
裁判における証明度の原理的考察による裏づけ
裁判における証明度の決定過程を検討すれば、刑事裁判における有罪認定の証明度を100パーセントから徐々に下げてどこに設定するかという判断は、真犯人を逃してはならないという社会全体の要請と、無辜の不処罰という課題とをどこで調和させるかいう判断と同一となる。
ただし、
裁判官と事実認定
1 裁判官による刑事事実認定の系譜と木谷・石井論争
裁判官による事実認定研究
藤野英一;再審となった刑事事件の事実認定の過誤の原因検討
青木英五郎;裁判官の心証形成過程に生じるあらゆる問題を取り上げて、裁判官が証拠評価を行う際に留意しなければならない問題を指摘
その後→判断における経験則・注意則の研究へ
司法研修所における事実認定研究
田辺公二;事実認定における諸種の誤謬および判断の主観性についての警告、青木等とともに事実認定教材シリーズ(供述心理、法廷技術)
20年以上中断(田辺死去)
再開→自白の信用性、情況証拠の観点から見た事実認定等
研究の一方の担い手である青木が官僚裁判官による事実認定自体を否定して陪審制採用を主張している。また研究成果のマニュアル化が進展しており、深刻な誤判回避の内容が引き継がれない結果が生じた。
木谷・石井論争
木谷
刑事裁判の事実認定→実態的真実主義VS訴訟制度上の制約→①真犯人を一部逃がすことになっても無実のものを処罰しない。②真犯人は絶対に逃さない。そのためには無実のものがときに犠牲になってもやむをえない。との二つの立場が対立
わが...