統一政権の成立と体制の整備
豊臣秀吉の全国統一により戦国時代が終わると、徳川氏は諸法度の制定を通じて、朝廷・寺社統制をふくむ幕藩体制を確立した。
外交では、秀吉の朝鮮侵略の後、江戸幕府は李氏朝鮮と国交を結んだが、明との国交を結んだが、明との国交は実現しなかった。また、幕府は鎖国政策をとり、貿易の独占とキリスト教禁止の徹底を図った。
近世
信長上洛(1568)~大政奉還(1867)
キーワード
江戸幕府 鎖国 幕藩体制 三大改革 大政奉還
目次
画期-社会の転換
①統一政権の成立と体制の整備
信長~家綱(1568-1680)
②社会の変質と政治の対応
綱吉~吉宗(1680-1750)
③社会の矛盾と支配体制の動揺
田沼~水野(1750-1850)
④近代への移行
①統一政権の成立と体制の整備
豊臣秀吉の全国統一により戦国時代が終わると、徳川氏は諸法度の制定を通じて、朝廷・寺社統制をふくむ幕藩体制を確立した。
外交では、秀吉の朝鮮侵略の後、江戸幕府は李氏朝鮮と国交を結んだが、明との国交を結んだが、明との国交は実現しなかった。また、幕府は鎖国政策をとり、貿易の独占とキリスト教禁止の徹底を図った。
1.織豊政権
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