Q0101日本の歴史科目 科目最終試験問題

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    資料紹介

    ・佛教大学通信教育部の科目最終試験問題の解答です。
    ・テキストの内容に沿って、800字程度でまとめています。
    ・この量でおよそ解答用紙の表面が全て埋まります。
    ・この模範解答を暗記してテストに臨みました。結果、単位すべて習得済みです。
    ・自分の意見をプラスすれば90点以上は得点できる思います。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    奈良時代の政治について

    710(和銅3)年に都が藤原京から平城京へ移されてから、長岡京・平安京に遷都するまでの約70年間を奈良時代という。8世紀の初め、律令国家の建設に功績をたてた藤原氏は天皇家に近づいて勢いを強めた。729(天平元)年、藤原四子は長屋王を自殺に追いこみ、妹の光明子を聖武天皇の皇后にたてた。ところが、四子が相次いで疫病で倒れたため、橘諸兄は、唐から帰国した玄昉や吉備真備を参画させて政権をにぎった。これに反発した藤原広嗣は740(天平12)年、九州で兵をあげたものの敗死する。
    聖武天皇は、こうした社会不安の中で741(天平13)年に国分寺建立の詔を出して諸国に国分寺・国分尼寺を建てさせ、743(天平15)年には大仏造立の詔を出し、仏の力に守られて国家が安定するよう願った。孝謙天皇の時代には、藤原仲麻呂が光明皇太后と結んで政界で勢力をのばした。橘諸兄の子で奈良麻呂は、仲麻呂を倒そうとするが、逆に滅ぼされた(橘奈良麻呂の変)。
    やがて、8世紀の後半に藤原仲麻呂が勢いを伸ばして淳仁天皇を即位させると、恵美押勝の名をたまわり、太政大臣にまで上った。しかし、孝謙上皇の信任を受けて...

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