日本型金融ビックバン
<10年遅れの改革>
<1.なぜ金融ビックバンか>
日本の金融自由化については、1970年から本格的に議論されてきた。これにより、多くの点で着実に自由化がなされ、規制が多かった金融システムはかなりの部分で変革されてきた。そのような経緯のもと、現在では金融ビックバンという金融システムの大変革が叫ばれている。
金融の自由化と金融のビックバンには、変革の内容に違いがある。それは、前者が規制を減少させることであり、後者はシステムという枠組みを大きく変革するということである。
金融ビックバンが必要となった理由としては、変革を行わなかったことにより金融技術が、革新を頻繁に行ってきた世界の先進国などと比べて劣っていることであり、特に1990年代の不況によって金融技術が優れているものではないことが顕在化したためである。このような背景のもとで金融ビックバンの必要性が高まったといえる。
<2.金融自由化の経済学>
金融のシステムの効率性と安全性はトレードオフの関係にある。つまり、効率性を求めれば危険になり、安全性を求めれば非効率となる。これまではこのうちの安全性を求めてきた傾向にあった。その理由は金融恐慌を懸念していたためである。その安全性とは金融システムを保護するということであり、とりわけ銀行が行う決済システムを指す。その保護されるべき理由としては経済システムが経済の中核的な役割を担うシステムであるからである。財やサービスは貨幣の流通を支えているため、決済システムの崩壊は、経済全体に多大な悪影響を与えかねないためである。さらに、決済システムを行っている銀行は本質的に不安定な性質を持っている。
銀行は顧客の信用により経営ができる。つまり、顧客に信用されなくなると経営が健全であっても破綻する恐れがあるという不安定さをもっている。そのため、政府の融資というセーフティネットや競争を行わせない(金利規制と業務規制)と内外金融の分離がされてきた。
<3.国際の大量発行と金融の国際化>
このような規制の維持が困難になった理由は、1970年代の大きな経済転換である。主な原因は国際の大量発行と金融の国際化の2つである。
日本経済は1973年の第一次オイルショックによって不況となった。それによる税収悪化の対策として大量の国債が発行され、そのためには規制を崩す必要があった。1970年代後半、この国債大量発行が市場での国債金利の上昇による金利自由化、国債関連の金融商品が生み出され業務規制の垣根が低下につながった。
さらに、1980年代初め頃には日本企業の海外進出が盛んになり、海外で金融機関の支店が展開されていき、現状のままでは日本の金融市場は空洞化することになったため、規制緩和の圧力があった。その上、アメリカの金融政策による高金利化が国債資本移動を活発化させ、それに加えて日米とのあいだで貿易摩擦が生じ、アメリカにより日本の金融市場の閉鎖性が批判、市場開放の圧力があったことが金融国際化の背景である。
<4.金融自由化から金融ビックバンへ>
このような背景のもと、1996年7月12日総理大臣の諮問機関である経済審議会の行動計画委員会が、金融、高度情報通信、物流などの6分野について規制緩和策を検討するためにワーキング・グループを設置することを決定したことによって、さらに急速に動き始めた。これまで、バブル発生と崩壊、不良債権問題などが動機となった「日本銀行法」の改正、不祥事対策のため
日本型金融ビックバン
<10年遅れの改革>
<1.なぜ金融ビックバンか>
日本の金融自由化については、1970年から本格的に議論されてきた。これにより、多くの点で着実に自由化がなされ、規制が多かった金融システムはかなりの部分で変革されてきた。そのような経緯のもと、現在では金融ビックバンという金融システムの大変革が叫ばれている。
金融の自由化と金融のビックバンには、変革の内容に違いがある。それは、前者が規制を減少させることであり、後者はシステムという枠組みを大きく変革するということである。
金融ビックバンが必要となった理由としては、変革を行わなかったことにより金融技術が、革新を頻繁に行ってきた世界の先進国などと比べて劣っていることであり、特に1990年代の不況によって金融技術が優れているものではないことが顕在化したためである。このような背景のもとで金融ビックバンの必要性が高まったといえる。
<2.金融自由化の経済学>
金融のシステムの効率性と安全性はトレードオフの関係にある。つまり、効率性を求めれば...