佛教大学 Z1307教科教育法国語1第2設題

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    資料紹介

    佛教大学通信課程のレポートを作成する際に参考になれば幸いです。

    添削担当者の評価を以下に示します。
    【設題の把握】 十分
    【テキストの理解】 十分
    【評価】A
    添削者からの訂正が無く、合格でした。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    教科教育法国語1 第2設題
    奥の細道の成立過程を学ぶことは、その歴史的背景や作成の経緯を知ることになり、古典教育の上で非常に重要と考えられる。言うまでもなく、奥の細道は、元禄時代の俳人松尾芭蕉による紀行文集である。元禄2年に江戸深川の採荼庵を弟子の河合曾良とともに出発し、東北・北陸を所用日数150日間で距離にして約600里(2400km)を旅し、元禄4年に江戸に戻ってきた。その行程のうち、武蔵、下野を始めとして岩代・陸前・陸中・陸奥・出羽・越後・越中・加賀・越前を通過して旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている紀行文集である。また弟子の曾良の随行日記も、没後数百年が経ってから曾良本と共に発見されている。その中で『平泉』は、5月13日頃、奥州藤原氏三代のあとを訪ねた際の記述で、栄華を誇った奥州藤原氏の滅んだ跡の情景が記されている。藤原氏三代とは、藤原清衡・藤原基衡・藤原秀衡であり、三代に渡って奥州全土を支配し栄えた。後三年の役で活躍した源義家が都に引き上げた後、平泉を中心に奥州藤原氏は栄えた。その奥州藤原氏の衰退を招いたのは、四代目泰衡が、父秀衡の遺言を無視して源義経を殺害せしめ...

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