古井由吉『先導獣の話』を読んで

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    「内なる世界での会話」
    ―古井由吉『先導獣の話』を読んで―
    文体の特質
    まず目に付くのは、状況説明の少ない文だと言うことだ。それは何故少ないのかというと、情景描写が極端に少ないからである。シーンの数は①草原②朝の通勤ラッシュ③先輩の仕事ぶり④遅延した電車⑤朝の駅で二日酔いの人⑥デモ隊に会った日⑦病院の七シーンのみである。
    しかもその少ない描写は、人に対しても、景色に対しても、客観的ではない。例えば、外の状況を見るというところでは、いったん内側に取り込んでから、自分の目線を加えた上での物の見方をしている。どの説明文でも、主観的なのである。主観的ということは、断定形を用いているということでもある。だからわれわれ読者は、他人の独り言のように思える「私」の通した物の見方や考えを、本当にその見方が正しいかかどうかは別として、知らず知らずのうちにさせられてしまっているのだ。
    しかし、少ないながらも、客観的な状況説明の文がある。主観的でないところとの区別は、カッコを見るとわかる。先輩の噂話を聞くシーンはそれである。「」が外の世界での会話。《》が内の世界での会話。というように差をつけている。
    一つの事例に対する考えに、内へ内へと深みにはまるように考察を繰り返すので、例え話が多いのも特徴だ。脈絡なく壮大に広がっていく例え話は、日常人が考える思考そのままのようである。そのため、いわゆる物語として読むには、あまりに話が進まないようにも見えてしまうだろう。
    【2】構成の工夫
    先程書いたようにシーンの数は七つである。作者自身はこれを3つのまとまりに分けている。これを【1】で分けたシーンに当てはめると、①②③/④⑤/⑥⑦というように分かれている。これは序破急の展開を意識した構成であると取れる。シーン量としても、偏りがなくバランスが取れた構成である。
    これをさらに細かく見ていくと、一つのシーンについても序破急の呼吸で進んでいるのが分かる。まず、そのシーンの置かれている状況に対する考え方を明らかにしたり、例え話を出したりする。次にそこでの出来事を「私」の視点から感じ、最後にそれに対しての考察、もしくは感想を言う。というパターンを繰り返している。
    さらに細かく、形式段落ごとに見ていっても、まず問題提起。次に例え話、最後に結論。と、同じ構成である。
    この一定した序破急のリズムがあることによって、独り言の自己解決型の思考を整理できるので、読者はおいていかれずに済むのだ。
    【3】その他気付いたこと
    この『先導獣の話』が発表されたのは一九六八年、今から三八年前のことである。それなのに、あまり時代の空気を感じさせないところはいささか疑問に感じる。何故、時代の空気が薄いのか。それはやはり、内なる世界での会話に終始しているせいではないだろうか。時代は変わっても、大きく変わるのは文化や、建物を含めた世界であるのが常であり、実際人の心まではそんなに変化はないのだ。時代は思想に反映される、とも言うが、あまりに内面に思考が到達すると、そこは時代を超越した、日本人が本来持つ共通の思想になりえるのだろう。そこが、三八年前の『先導獣の話』と現在の社会に生きるわれわれとを繋ぐ大きな要因である。
    参考文献『先導獣の話』古井由吉著、河出書房新社、一九八二年九月

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