1914年に、ボスニアの首都サラエボを訪れていたオーストリア皇太子夫婦が、セルビアの青年によって暗殺された。当時は、少数民族のナショナリズムとヨーロッパ列強の利害が絡み合っていて、緊張が高まってバルカン半島は、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていた。サラエボ事件がきっかけで、火がついてしまったのである。オーストリアがセルビアに宣戦布告すると、強大な国々は次々に軍隊を導入していき、戦争に参加をしていった。ドイツ、オーストリア、ハンガリーの同盟国側にはブルガリア、オスマン帝国がつき、英仏露の連合国側には、日英同盟により参戦した日本、イタリアなどがたった。イタリアは、未回収のイタリアについて、英仏露と秘密条約を結び、三国同盟を取り止めて1915年に参戦することになった。サラエボ事件がきっかけとなり、各国がいろいろな国と同盟を結んでいたことが原因となり、一つの国が戦いを始めると、他の国が同盟により参戦することになり、各国の植民地をも巻き込んで、この戦争は、史上初の世界大戦となっていった。ヨーロッパは、互いに競争しながら、協合していた。19世紀頃までは、戦争は、道徳的な犯罪ではない。当時の戦争は、主...