日本史②B 課題2

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    資料紹介

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    課題
    「室町幕府四代将軍足利義持の時代から江戸幕府の成立までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
    嘉吉の乱・下剋上・戦国大名・織豊政権・江戸幕府」
    (インターネット上の東洋大学シラバスより引用)

    参考文献
    家長三郎『新講日本史』三省堂、1967年
    池上裕子『織田信長』吉川弘文館・人物叢書、2012年
    新田一郎『中世に国家はあったか』山川出版社、2004年

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

     足利義満の死後、4代将軍の足利義持は義満の政策から転換し、保守的体制を築いた。貴族的色彩が強まった義満晩年の幕府の政策に対し、武士の不満が高まっていたことから、こうした政策の転換がなされたが、義満の時代に比して将軍の権力が低下し、土一揆の発生や後南朝による南朝再興運動など、幕府にとって苦境の時代となった。義持は子である義量に将軍職を譲るが義量が早世し、義持自身も後継者の決定を待たずに亡くなる。こうして、6代将軍はくじ引きで選ばれることとされ、義満の子である義円が還俗して6代将軍となった。義教は失墜した幕府権威の復興と将軍親政の復興を目指し、義満に倣った政策を展開する。義教は儀礼形式や訴訟手続きといった庶務を義満時代のものを復活させると、参加者の身分・家柄が固定化された評定衆・引付に代わって、自らが主宰して参加者を指名する御前沙汰を協議機関とした。また、管領を経由して行っていた守護大名への諮問を将軍が直接諮問に変え、中央集権化し、義持の代から中断していた勘合貿易を再開し、経済政策を強化し、幕府の再興を図った。しかしながら、急進的な政治姿勢が反発を呼び込み、赤松満祐により義教が暗殺される...

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